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「ディズニーアニメと宮崎駿アニメは根本的に何が違うと思うか」という話の流れで、ヴィッキー・ジェンソン
という映画監督が「ディズニーは『価値』を考える」と答えていた。
シンデレラのための服を縫う手伝いをしてくる小鳥。かぼちゃの馬車を運んでくれるネズミ。ベルと野獣の愛が実るように見守ってくれるポット夫人(元は料理番)。
みんなそれぞれに役割があり、価値がある。
『ナウシカ』のテトはナウシカの指を噛む。血が出る。ナウシカは耐える。辛抱する。受動型になる。キツネリスは野生の動物だから耐えるのは人間の方だ。話しかけてきてくれもしないし、情報も与えてくれない。
動きもそうだ。ディズニーは飛行物に演技をさせ、弾ませる。元気よく活発に人目を惹く。ナウシカは静止する。ナウシカの動きは『アニメーションにする価値があるか否か』に左右されない。
この指摘を見てこえーなって思ったのは、「シンデレラのドレスの仕立て直しを手伝ってくれる小鳥は『シンデレラにとって価値があるかどうか』で出演を決められているね」と考えたことがなかったから。そういうもんだと思ってたから。小鳥にもネズミにも役割があり、価値がないと映してもらえない。アニメだから当たり前だと思っていた。
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