2024年4月10日水曜日

溝口健二監督のお墓があるお寺-満願寺再び- | レレレの行ってみたらこんなとこ!

溝口健二監督のお墓があるお寺-満願寺再び- | レレレの行ってみたらこんなとこ!




溝口健二監督のお墓があるお寺-満願寺再び-

今回から10月14日のことになります

この日は令和5年度第8回京都浄土宗寺院特別大公開のお寺を見て回ることをメインに行きました

大公開で行った所は、先にダイジェスト でアップしています😌

今回はその他にも巡っていた所も含めてアップしていきます😄


岡崎周辺から巡ることにしていたので、まずは前回霊場の御朱印が頂けなかったこちらから行きました

満願寺

詳細は前回 に譲ります🙇

山門手前にある題目碑

山門から見る本堂

本堂の横にはいろんな石碑が立っています

本堂正面から

本堂前に架かる扁額

本堂前の石碑

本堂横の石碑

で、その中に溝口健二之碑と書かれているものがありました

溝口健二

1898.5.16〜1956.8.24

映画監督

出生地 東京都本郷区(現在の文京区)

死没地 京都府京都市上京区

主な作品

雨月物語(1953年)

山椒大夫(1954年)

同じくヴェネチア国際映画祭で、1952年に「西鶴一代女」にて国際賞受賞

1954年には、ブルーリボン賞の監督賞を「近松物語」で受賞されています

1956年、骨髄性白血病にて死去

生涯に約90本の作品を監督されたということです

(ウィキペディア参照、画像もウィキペディアより)

文子天満宮側

文子天満宮本殿(奥)とたぶん妙見さん(手前)

本堂の横に経塔

庫裏へ向かいます

そこにある大きな石碑

これは法勝寺執行俊寛の「僧都故居の碑」というものだそうです

(京都大知典参照)

俊寛とは、鹿ヶ谷での平家討伐の謀議に加わり配流された僧侶

1143〜1179?年(物によっては生没年不詳)

村上源氏源雅俊の孫

木寺法印寛雅の子

仁安(1166〜1169)ごろから法勝寺執行として名が現れてくる

治承1(1177)年、鹿ヶ谷の山荘にて平家打倒計画を企てるも、漏洩のため追捕される

その後、硫黄島に配流

現地で死去!?

(京都大知典・朝日日本歴史人物事典参照)

学校で習ったのを覚えておられる方もおられるんじゃないでしょうか!?😄


庫裏の前に祠と井戸(跡?)

祠のアップ

こちらは六勝寺のうちの1つである法勝寺の境内であったようです!?

上の井戸(跡?)は、その井戸だったと伝わる閼伽井なのではないかと思います🤔

この日はご住職がおられ、霊場の御朱印と、御首題、見開きの御首題も頂きました

洛陽十二支妙見めぐり(300円)

妙見めぐりの御朱印帳を抜粋すると

当初、妙見様は法勝寺旧跡にあった本光寺に祀られていた

安永3(1774)年の大火により本光寺が焼失

そのため、当山に移される

洛陽二十八宿妙見の1つとしても有名

とあります

御首題(300円)

見開き(書置きのみ・1000円)

もう1つ青い台紙に、確かお題目が書かれたものがありましたが、そちらは台紙の青が鮮やかで青というより瑠璃色や紺青色のような色合いだったと思います

その色合いを出すのが難しく、台紙が割りと高いものだということを聞きました

少子化に待ったなしは、どこも例外でないことを感じる話でした😅

次回も少し前にアップしたとこになりますが、こんな感じで京都散策のことが続きます

では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ

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