2024年2月5日月曜日

日本雛形論





日本雛形論
https://dylan2023bible.blogspot.com/2024/02/blog-post_30.html @

https://www.blogger.com/blog/post/edit/6555249751919114552/153346294975539385


2017/8/2 -日本雛形理論』とは、日本列島の形は世界の全ての陸地の縮図になっている ... 神典図説(しんてんずせつ)』にも、日本と世界の対応図が描かれていた ...


友清九吾 編『寿書』外篇 第2巻,天行居,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189420 (参照 2024-02-08)


https://dl.ndl.go.jp/pid/1189420


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12112491787?__ysp=56We5YW45Zuz6KqsIOaXpeacrOmbm%2BW9ouirlg%3D%3D


2013/8/27-回答 4 件

明治2年に刊行された「神典図説」(著者は、甘冥草と言う偽名)には、日本は5大州(全世界のこと)の基になっていることが説かれています。ここでは ...


回答 1 件

大本教の出口王仁三郎大正7年「いろは神歌」 それ以前も匿名にて「神典図説」あり日・ユ同祖論等もありそのような時代背景があった。


(2)『神霊界』大正7年1月号掲載|第二章 大正期の神諭|大本史料集成 - 霊界物語ネット
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195501c22022


○みづ清き金竜海の島々は、日出る国の雛形と、祝ひ定めて築きたり。日出る国の日の本は、全く世界の雛形ぞ。神倭磐余の君が大和なる、火々真の岡に登り坐、蜻蛉の臀甞せる国と、詔せ給ふも理や。我九州は亜弗利加に、北海道は北米に。台湾島は南米に四国の島は濠州に、我本州は広くして、欧亜大陸其儘の、地形を止むるも千早振、神代の古き昔より、深き神誓の在すなり。豊葦原の中津国、秋津根別の神国は、世界を統ぶる天職を、神代乍らに具えたる、珍の御国ぞ美し国、国の真秀良場畳並る、青垣山に囲まれし、綾の錦の本宮に、斯世を統ぶる皇神の、御稜威も高く四方の国、輝き渡る兄の花の、咲耶この時言霊の、照るや斯時畏こくも、皇大神の御教を、顕はし奉れ大本の、下津岩根に集まれる、心優しき神の御子。

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日本は世界の雛形日本列島も五大陸の縮図


  王仁三郎は、日本そのものが世界の雛形であり、日本列島も五大陸の縮図だとし、『大本神歌』で次のように述べている。 

 「日出る国の日の本は、全く世界のひな型ぞ、わが九州はアフリカに、北海道は北米に、四国の島は豪州に、わが本州は広くして、欧亜大陸そのままの、地形をとどむるも千早ぶる、神代の古き昔より、深き神誓の在すなり」 

 つまり、北海道は北アメリカ、本州はユーラシア大陸、四国はオーストラリア、九州はアフリカ、台湾は南アメリカに対応しているばかりか、富士山はヒマラヤ、琵琶湖はカスピ海というふうに、山河や湖までもが細かく相似しているというのだ。 

 そうした地形だけでなく、「日本は世界の雛形であり、霊域であり、要であり、世界経綸の中府」だと王仁三郎はいう。 

 王仁三郎は『霊界物語』の中で、太古の「国常立尊の神政時代」について述べているが、彼がいうには、かつて宇宙は霊主体従の原理に従って動いていたが、ある時、国常立尊が隠退してしまってからは、体主霊従という物質優先の、「われよし」「強いものがち」の世になってしまった。出口ナオに憑かった「艮の金神」は、封印された神の力を解き放ち、「国常立尊の神政時代」を復活させようという霊的働きだったのだ。


日本列島は世界のひな形 20220912 : 一人一人が輝ける世の中にする
https://pepe123456789.exblog.jp/32269678/

日本列島は世界のひな形 20220912

「日本は世界の雛形である」

これは、じつをいうと、大本教の聖師・出口王仁三郎のことばである。

 

日本列島は世界のひな形 20220912_b0424847_07464289.jpg

「日出る国の日の本は、全く世界の雛形ぞ。(中略)我九州はアフリカに、北海道は北米に、台湾島は南米に、台湾島は南米に四国の島は豪州に、我本州は広くして、欧亜大陸其儘の、地形を止むるも千早振(チハヤブル)、神代の古き昔より、深き神誓の在すなり」(「いろは神歌」より/『神霊界』大正71月号)

※ムーPLUSより引用しております。

 

日本と世界の照応関係からは、驚くべき霊的メカニズムと地球の未来の姿についても浮き彫りになるのだ。

※日本再発見! 日本に憧れ、日本に学ぼうとする世界の声を集めた海外の反応サイトから引用しております。

歴史までそっくりな北海道と北米大陸


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次に北海道をみてみましょう。そもそも北海道はいったいどこに照応しているのでしょうか。それについては様々な説があるようですが、一般には北米とするのが有力なようです。私もそうみるのが妥当だろうと思います。

ぴんとこない人は、北海道を反時計回りに少し回転させてみてください。そうすると渡島半島がちょうどメキシコあたりに、稚内がアラスカに相当することが見えてくるのではないでしょうか

 

宙ぶらりんになった台湾の謎

ユーラシアが本州に、北海道が北アメリカに、四国がオーストラリアに、九州がアフリカに照応するというのはわかりました。しかし、五大陸というように世界にはもうひとつ大陸があります。そう、南米です。ではこの南米はいったい日本のどこに照応するのでしょうか。

南米についてもさまざまな説がありますが、一般には台湾だとされていますーー。

 

しかし、ここで疑問がわいてきます。

 

雛形理論によれば日本は世界の雛形であるということですが、これは逆にいえば?

「世界の五大陸は日本の拡大版であり、それに照応する場所が必ず日本にあるという意味になります。」

 

その日月神示にはこう書いてあります。

 

「日本の国は世界の雛形であるぞ、

雛形でないところは真の神の国でないから、

よほど気つけて居りて呉れよ、

一時は敵となるのざから、

ちっとも気許せんことぞ、

神が特に気つけておくぞ。

今は日本の国となりて居りても、

神の元の国でないところもあるのざから、

雛型見てよく腹に入れておいて下されよ」

 

これを読み解く大前提として、まずは戦前の日本の領土がどうであったかを思い出してください。戦前の日本といえば、いわゆる本土だけでなく朝鮮半島と台湾を含むものでした(南樺太も)。さらに満州やその他アジアの占領地、パラオなど南太平洋の信託統治領も含めると、その当時、日本あるいは「ほぼ日本のような」ところと考えられていた地域はかなり広大でした。

 

樺太と沖縄について

そういえば、戦前まで日本領だった樺太についてはどうなんだろう、また沖縄はどこに照応するんだろうという疑問がふともちあがりました。さらにそうなると五大陸というけど実際には南極大陸もあるわけでだったら南極はどこに対応するのかといったことも気になります。

そこで樺太と沖縄についても考えてみました。

あくまでも私の個人的な見立てですが、沖縄はアフリカのマダガスカル島に、樺太は南極に対応するのではないでしょうか。

 

外八洲内八洲史観【ソトヤシマ・ウチヤシマ・シカン】

日本のことを大昔は大八洲(おおやしま)と呼んでいたようです。

大辞林によると大八洲とは

「日本の古称・美称。古事記・日本書紀に伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の生んだ島々の総称としてみえる。」

外八洲(そとやしま)内八洲(うちやしま)とは何かというと、外八洲=世界、内八洲=日本で日本は世界のひな形である、という考え方のことです。

「一部分が全体の相似形になっているとしたら」

、世界の陸地全体も世界の一部の日本と相似形になっていて、日本が全体のひな形である、といえないでしょうか。なぜ日本かということはわかりません。そこにまたロマンがあります。

 

佐竹としましては

イザナギ・イザナミが一対神にて海をかきまぜたら淡路島ができた?

その淡路島が琵琶湖と出っ張りと引っ込みが一致するなど探求ははてませんが

偶然も不思議も一致する仕組みがあるようですね


日之本研究ホームページ

雛型経綸とは

タテ三段、ヨコ三段の転写

よく大本関連の話で語られる雛型経綸とは、何かしらの雛形として行動をすると、それが転写広大して、全体に及ぶという意味です。
 大本に起こる事は、日本に、そして日本に起こる事は世界に起こるという事が神諭などで散見されます。
 これは一体どういう事であるのか、と言いますと実際の事件は、後に書きますが、それと思しき内容(或いは、参考になりそうなもの)を、王仁 三郎氏が「神の国」誌上で発表した事等から考えてみたいと思います。

 王仁三郎氏は、霊界とは想念の世界であるから、例えば神前に松の枝を供えたとしても、小さな枝が神界では、想念の延長で幾らでも大きな大木となり、それを使って家を建て るなど出来るのであると顕しています。
 地上でどれほど些細な事でも、その行為は神界へと反映して、幾らでも大きなものへと広大出来るのではないかと考えられます。 

 神の天
 / 
神の地
 \
 幽の天
 /
幽の地
 \
 顕の天
 /
顕の地

 ※神・幽・顕と霊界の縦三段に、立て替え・立て直しのエネルギーが転写し、それぞれの段階で「合わせ鏡、写し世」と言われる現実世界に転写し、大本→日本→世界へと横三段に転写していくと考えられています。

 日月神示には「生きるか死ぬかは人間ばかりでないぞ」「神様も無くなる御方あるぞ」「上の上の上の神界では戦は済みたぞ」という意味の事が書かれてあり、神界からの立て替えの様相が順次写って来ると受け取れる個所が見受けられます。 

宇宙万有に雛形(相似形)が見られる

5大州

フラクタル理論と呼ばれるものがありますが、これは図形の部分と全体が自己相似になっているものなどを指す様です。
 よく知られたものに、雪の結晶構造などがあり、また人体の中にもフラクタルが見られます。この理論を応用してCGに描かせると、地上の地形や雲、山等にソックリな映像が出来上がるようです。

 他にも、シャボンの泡と宇宙の銀河の星の密度が似ている等ありますが、日本の地形そのものが、世界五大州の雛形であると言う説があります。 これは偽書と言われる『竹内文書』にも書かれています。以下の動画が分かり易いと思います。 

 また、これに関しては王仁三郎氏も歌として表現しています。 

出口王仁三郎

・日出る国の日の本は、全く世界の雛形ぞ、わが九州はアフリカに、北海道は北米に、四国の島は豪州に、わが本州は広くして、欧亜大陸そのままの、地形をとどむる千早ぶる、神世の古き昔より、深き神誓の存ますなり 

-『大本神歌』-

 地形の相似に関しては、日本一大きな琵琶湖の地点には、世界一大きなカスピ海、日本の富士川はガンジス河に似ていて、更にそれぞれの川の北方には富士山と、エベレストが存在存在します。

出口王仁三郎

・「日本は世界の胎胞に当たっておって、世界の地形は日本のそれと相似形をして居るという事は度々話したことである。即ち日本は五大島からなり、世界は五大洲からなっており、その地形もそっくりそのままである。
九州は阿弗利加(アフリカ)に、四国は豪州(オーストラリア)に、北海道は北米に台湾は南米に、本州は欧亜の大陸(ユーラシア大陸)にそれぞれ相当している。
紀伊の国はアラビアに、琵琶湖は裏海(カスピ海)に、大阪湾は黒海に、伊勢の海はアラビア海に、駿河湾はベンガル湾に、津軽海峡はベーリング海峡に、土佐湾はオーストラリア大湾に、能登半島はスカンジナビア半島に、瀬戸内海は地中海に、関門海峡はジブラルタルの海峡に相当する。 
 これらはほんの一部分を示したに過ぎないが地名を言霊学で調べてみると、小さな町や村に至るまで皆同じである。
日本国内では鹿児島県の大島(奄美大島)がまた日本の縮図であって、総てが相似形をなしている。またそれそれらの土地に起る種々の出来事も、相応の形をとって起るのである。
 単に土地のみではない、人の体もまた相応しているので、五臓六腑は五大洲に同じような形をしているのである

-『月鏡』-

 また、原子の場合を見ますと、原子核の周囲を廻る電子の振る舞いは、太陽を中心に公転する惑星の様子に似ています。またその太陽系も、それぞれが公転し銀河を作り出しています。 

 ヨコ三段という意味では、上記『月鏡』にあるように、奄美大島→日本→世界という三段構造の相似形になっているそうです。

奄美大島には、オバマ大統領で有名になった北陸の小浜に相当する位置に、小浜(こはま)があり、北陸にも奄美にも、すぐ近くに長浜という地区があるようです。また、日本の瀬戸内海に相当する場所に瀬戸内町、高知県に相当する場所に高知山があるそうです。

奄美あれこれ奄美大島のマップ(画像は奄美あれこれより)

イメージ図  日本サイ科学会の大橋正雄氏は、素粒子・原子・太陽系・銀河系」の半径と周期(秒)を対数座標軸に記すと、それ等は直線上に並ぶ事を発見しました。
 厳密に言えば、原子核の周囲を電子が廻るのではなく、電子雲と呼ばれるような振る舞いを見せるようで、電子の速度も微妙に異なるようです。 

 これらは偶然と言ってしまえばそれまでですが、この世界には鉱物や植物、人間を含めた動物、人工的に作られたプラスチック等、豊富で様々な素材が 満ちていますが、見た目や性質が違っていても、結局の所総てのモノは、原子からなっている事を思うと、何か不思議な感じを受けます。更に、銀河星運まで範疇に入れると、半径で約10の6乗になり、一周に掛かる秒数は約10の5乗になり、その相対として考えれば、素粒子よりも更に小さい(測定限界以下の)粒子がある可能性もあります。

スパイラル状に起きる歴史

 よく歴史は繰り返すと言われています。それはあたかもDNAの螺旋の様に、渦状に少しずつ進化しつつも、似た様な経緯を辿るというものです。それは幾つかの栄枯盛衰を極めた古代王権など、時代と国を超えて、よく似たような経緯を辿るケースもあります。王仁三郎氏は古事記の解釈について、以下の様な解説をしていました。

出口王仁三郎

・何時も申す通り、この古事記は古今を通じて誤らず、これを中外に施してもとらないと云ふのでありまして、神代の昔も、今日も、また行く先の世の総ての事も、測地することが出来る様に書かれてあるので、これが天下の名文である所以であります。 

-『王仁文庫』第二輯- 

 例としては、考古学上の多くの発見が、三世紀後半頃に九州地区から畿内に向けて、強烈な分化の伝承があった事を実証している様ですが、明治維新もまた西側諸国の連合(薩長連合)し、天皇を錦の御旗に立てて強大な政権(徳川幕府)を倒しました。
いづれも又、天皇(大王)が西から東に移動した際の、それに匹敵する列強が倒れるという点で共通しています。
 しかも、大和朝廷建国の際にはニギハヤヒ尊が帰依し、明治維新の際には徳川幕府の大政奉還、という様に不思議と闘う事無く譲歩している点が同じです。(参考:抹殺された古代王権の秘密/関裕二著-日本文芸社)

 近代で言えば、戦時中の日本は正にイケイケ・ドンドンという調子でアジア地域等は特に勢力を伸ばし、連戦連勝の状態でしたが次第に戦況が怪しくな り終に敗戦を迎えましたが、戦後の急速な復興と経済戦という違った形での戦いは、やはりイケイケ・ドンドン状態から、見るも無残な状況へ至る点等が似ています。
 この様な出来事に関する仮説としては、シェルドレイクの仮説(現在は過去の場に共鳴する-時間的相関関係)というものが存在します。

 そして又王仁三郎氏は戦国時代の事に触れ「戦国時代の型を写していかならけばならいのに」と語っています。またこれに付随するものなのか、お筆先にも「ナの御魂とノの御魂の和合一致し、最後はスの御魂が統一する」と在ります。  この点については、一つの仮説が存在します(王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける/須藤アキオ著-徳間書店)それを纏めると、以下の様な感じになりま す。

小田信長

大自在天神

自らを「第六天魔王」と称し、叡山の僧三千人を焼くなどの攻撃的、且つ強力な勢力で、一時代の覇者となる。 

豊 臣秀吉

ナの御霊
(ユダヤ)

武力絶倫の小田信長(大自在天)に仕え、一旦統一の座を手にした。海外貿易や商業都市、鉱山を押さえるなど金銭を重要視し又その才にも長けていた。 

明智光秀

ノの御霊
(日本)

信長(大自在天)を暗殺し、逆賊と言われた。しかし、天王山の闘いの際に秀吉(ユダヤ)に敗れる。 

徳川家康

スの御霊
(ミロク)

秀吉の残党との間に関ヶ原の天下分け目の大決戦が行われる。最終的には幕府体制が敷かれ、統一される。 

 小田信長 大自在天神 自らを「第六天魔王」と称し、叡山の僧三千人を焼くなどの攻撃的、且つ強力な勢力で、一時代の覇者となる。 豊臣秀吉ナの御霊(ユダヤ)武力絶倫の小田信長(大自在天)に仕え、一旦統一の座を手にした。海外貿易や商業都市、鉱山を押さえるなど金銭を重要視し又その才にも長けていた。

 明智光秀 ノの御霊(日本) 信長(大自在天)を暗殺し、逆賊と言われた。しかし、天王山の闘いの際に秀吉(ユダヤ)に敗れる。
徳川家康 スの御霊(ミロク) 秀吉の残党との間に関ヶ原の天下分け目の大決戦が行われる。最終的には幕府体制が敷かれ、統一される。
 亀岡の聖地は明智光秀の城跡に築かれ、また「水鏡」には以下の記述も見受けられます。

出口王仁三郎

・千の利休といふ人は、明智光秀のなれの果てである。明智光秀は 山崎の一戦にもろくも敗れて、遂に名も無き一土兵の為に竹槍でつき殺されたと、歴史に伝えられているがあれは嘘である。
 天王山の一戦で勝敗の決する事は、初めからよく承知してをったが光秀は将士の度々の迎へを受けながら、わざとグズグズしていて、遂に勝ちを秀吉に譲ったのである。
 実にとくに光秀と秀吉の間には妥協が成立して居たのである。聡明なる光秀は、たとへ如何なる事情があったにせよ、一旦主殺しの汚名を着たものが、天下の将軍となっても長続きせぬと云ふ事をよく承知して居て秀吉に勝ちを譲ったのである。 

-『水鏡』-

 織田信長(大自在天)という強力なバックを元に、金銭重視の秀吉(ユダヤ)が天下を治め、その背後に控えた力小田信長を、明智光秀が倒し、逆に秀吉に滅ぼされようとするが、秀吉と明智の間にはある提携があり、実際には参謀として働き、また最後に徳川幕府によって制定され明治維新に 至る(明治維新後、美濃や尾張といった個別の国という観点から、日本国という一つの国家形態に変わった)…というものです。

 これには後日談があって、大正9年頃に千利休=明智光秀論を聞かされた、太田栄子夫人が、お茶の先生の名倉氏に話し、名倉氏はそれを又家 元(第 13代園 能斎氏)に話した所、園能斎氏はサッと顔色が青ざめ、暫くはものも言わなかった様で、ようやく「どうしてそれが判ったのですか?」と聞いたそうです。
 この 事は千家に伝わる一子相伝の秘密で、後を継ぐ長男のみがそれを聞き伝えるらしいのです。

 話しを戻しますと、大和朝廷や明治維新と共に、秀吉と明智の間にも譲歩が成立していた可能性があるのです。これは後述する様に、ユダヤ (秀吉)と 日本(明智)の提携の型にも受け取れます。
 ましてや、ユダヤ人と日本人とは、フランスで行われた遺伝子調査で、親戚関係にある事が判ったと言われています。
 また随分前ですが、偶然有名人の子孫を探すという企画のTV番組を見ていたのですが、その際に「秀吉」の子孫の方と「光秀」の子孫の方が対面した所を見ました。
 その際に秀吉の子孫の方が家系図を持ち出して「先祖は敵同士でしたが、我が家の家系 図によると、 うちと明智家とは遠い親戚筋にあたる様です。 だからこれからは親戚として、仲良くやって行きましょう」と 話されたのを確かに覚えています。 

造化の原理

ベールの彼方(G.V.OWEN近藤千雄訳:潮文社)と呼ばれる著作の中に以下の様な事が書いてあります。  

ベールの彼方の生活

…先ずスパイラルですが、これはそれ自体まさしく霊的世界に見られる原理の物的類似物と言えます。それは当然の事で、物的原子の総てが意念の操作による産物だからです。その意念の大根源が神です。

 その神から涌き出た動的意念が中間の界層を整然たる順序を経て下降し、物質の中に究極の表現を見出しているのです。したがって物的世界に見られるものは、そうした中間層を通過してきたエネルギーの産物なのです。前の例ではそのエネルギーがスパイラル運動によって発せられているのが判ります。 

 霊界に起きた出来事(意念)が現実の世界に転写してくる、という点では王仁三郎氏や他の霊訓などに共通して見られる描写です。
 物的原子の総てが意念の操作によると書かれていますが、素粒子の観測者が素粒子の状態を調べようとすると、素粒子に意思があるとしか考えられない振る舞いをする様です。

 スクリーンの手前に小さな穴を開けた板を置き、素粒子にその穴を通過させると、一つの素粒子が同時に二つの穴を通過したりの奇妙な現象も見られるとの事で、こうした奇妙な現象をシュレディンガーなど が不確定性理論や波動方程式にまとめて、量子の世界の出来事はこれが原因で結果がこうなるという因果律に囚われず、確率的にしか解らない(法則らしきものが見つからない)とした経緯があります。

ベールの彼方の生活

…天体がいかにして誕生したかが判るようになっていました。左側は神の思念が外部へ向けて振動し鼓動しつつ徐々に密度を増し、貴殿らの言うエーテルそのものとなっていく様子が判るようになっていました。
 それを見ると゛動き゛の本質が判ります。本質的には螺旋状(スパイラル)です。

 それが原子の外側を上昇して先端までくると、今度は同じくスパイラル状に、しかし今度は原子の内部を下降し始めます。 (これが象徴的表現に過ぎないことを後で述べている)空間が狭いために小さなスパイラルでも上昇時よりもスピードを増します。そして猛烈なスピードで原子の底部から出ると再び上昇スパイラルとなりますが、スピードは少し緩やかになり、上昇しきると再びスピードを増しながら内部を下降していきます。

… (中略)…

 鉱物の原子を見てもやはり同じ原理になっている事が判ります。 また一つの原子について言えることは、原子の集合体についても言えます。例えば太陽系の惑星の動きもスパイラルです。但し、惑星を構成する物質の鈍重さのせいで動きはずっとゆっくりしています。同じ事が衛星の運動にも言えます。さらに銀河系の 恒星をめぐる惑星集団、さらに銀河の中心をめぐる恒星集団についても言えます。

… (中略)…

 こうした状況を我々はその幅広い通りの左側に見たのです。がその反対側には物的想像物の霊的側面を見ました。つまり両者は表裏一体の関係となっているのです。 

 ここで通信者は、゛先端゛とか゛底部゛とか゛上昇゛とか゛下降゛という言い方は便宜上そう表現したまでのことです。エーテルの原子に 上も下もありませんと答えています。
 判りやすいように、色々と象徴的に表現しているのだと思いますが、ここで言われている左側とか右側という表現も、方位とか方角ではなく何か の象徴とは思 いますが、面白いものです。 

 言霊学的な表現では、左(ひだり)とは霊(ひ)を現して、また右(みぎ)とは身(み)という面を表していて、神話に見られるイザナ(ギ・ 気)、イ ザナ(ミ・身)の神産み等の様に、霊肉表裏一体で表現されている事が多いのです。 そしてまた、その側面の一つであるエーテルの世界の進化について以下の記述があります。  

ベールの彼方の生活

・吾々が知ったことは造化の神々はさきに述べたエーテル原子よりさらに遡った全存在の始源近くにおいて造化に着手されているという事です。またエーテルの進化を担当するのも太古より存在する偉大なる神々であるという事です。
 そこで吾々はずっと下がって材質の密度が運動を鈍らせるにいたる段階における思念のバイブレーションを学習する事になりました。そしてまず知ったのは、 吾々学徒にとって最も困難なことの一つは正しく思惟し正しく意思を働かせることだという事です。
 物質を想像していく上で先ず第一にマスターしなければならないことはスパイラル状に思惟するという事です。これ以上の説明 は私には出来ません。

… (中略)…

  …さてこれを動物界に見てみると、やはり同じ原理が働いているのが判ります。例えば小鳥は空中を飛ぶのにも滑空するのにも決して一直線は描かずに曲線 を描く傾向があり、長い距離を行くとやはりスパイラル運動をしている事が明らかになります。
 同じ事が海中の動物にも陸上の動物にも言えます。ただ、進化すると、高等なものほどそれが明確に認められなくなります。自由意思が行使されるようになるからで、それが中心的原則から外れた行動を生むようになります。

 逆に自由意思が少なくなるほどその原則が明確に見られます。例えばカタツムリの殻を御覧になればよくわかります。海の動物の殻にも同じものが数多く見られます。自由意思に替わって本能が作用しているからです。 

 神示と霊訓の所で述べているのですが、人間というのも進化・進歩するほどより多くの自由意思が行使できるようになると、シルバーバーチ等が語っているのですが、これは未だに判然とは判っていないのですが、ここでも同じような事柄が述べられています。 

世の中によく見られる相似形

 この世界には、相似形・自己相似形と呼ばれるものが多くあります。例えば、以下に挙げる人間の脳と宇宙です。 大紀元というサイトに以下の様な記事が掲載されています。

2012年11月、宇宙の成長過程と構造、大脳細胞の形成プロセスと構造が非常に似ているという論文が、英科学誌ネイチャーに発表された。

上の2枚の写真(ネット写真)が「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された。左はネズミの脳細胞の排列状態で、右が宇宙の構造である。初期の宇宙の中で星団が相互に繋がっている状態は、大脳神経ニューロンが互いに繋がっている構造とほぼ同じように見える。

脳と宇宙

また、宇宙の銀河は鳴門の渦巻きや、台風の様にも見えますし、泡構造とも呼ばれ、まるでシャボンの泡の様な構造になっている事もあります。(画像はWikipediaより) 

台風

 地上を見ますと、こちらのサイトに自己相似形について解説してあります。また、このフラクタルを利用して山脈を描くなど、アート作品もあります。

フラクタル図形一部分を拡大しても全体と複雑さが変わらない(自己相似性)(画像はWhat is Fractal ? より)

 試しにフラクタル・アートの作品一覧をご覧ください。クリックした時点で、どの様な画像が出るかは分かりませんが、巻貝や花の様な自然界に存在する画像が並び、それこそ極小から徐々に、渦巻き(スパイラル)状に、徐々に相似形に拡大しているものが多くあります。

時間軸上、平面上に相似形の出来事が発生

 どうやら宇宙は、超極微のものから、極大なものまで、何かしらの一定したルール・デザインがあるように思われます。

 素粒子には、時間と空間を超越したような性質、時間を遡ったり、数千キロも離れた素粒子同士が、お互いに相関関係を持ったりするそうですが、後に紹介する戦前・戦後の日本の対比や、大本の王仁三郎氏に起きた事象と、相似形を持った事件が、日本各地、或いは世界各地に発生したケースと似ています。

大本神諭

「艮の金神国常立尊、出口直の手を借りて何かのことを日々、筆先で知らしておれども、この中の肝心の人に疑いがある故に、世界のことが延びるばかり。神もこらえ袋が切れるぞよ。『八月九月は盛りになる』と申せば、『明治何年の八月、九月じゃ。それが判らん神の知らせはあてにならぬ。出口に悪神が懸かりて、肉体をもて遊びにしておるのであろう。』と申して変性女子が出口を責めるなれど、それは吾の心で考えてくだされ。『神はかんじんのことは今の今まで申されんから』と申せば、また反対致して『出口に懸かりておる神は神力のないやくざ神に違いない。出放題の無茶苦茶ばかり申す馬鹿神であるから、相手に阿呆らくてなれん』と申しえらい御不足であれども、三千年もかかりて苦労いたした経綸であるから、なにほど大事な身魂でも今の今まで打ち明けられんぞよ。世界から出てくることと筆先と吾の行状とを、ちっと考えてみよれ。自然(ぬがしで)に判りてくるぞよ」

 上記の大本神諭にある「この中の肝心の人」とは出口王仁三郎氏の事ですが、この大本に起きる事は世界に起きるから、箸が転んだ事まで書き留めておいてくれ(後述)、という内容のものもあり、どうも王仁三郎氏の行動と、世界から出て来るニュース等が、妙にリンクしていたのではないかと思われます。


 

我々は目に見える物質教育を戦後から受けて来ておりますが

もう一度、目に見えないはたらきを信じることができるとき

日本が世界の縮図として、おきる現象も一致している一対でありますれば

「我」という小さい視界にて解決を求めてもうまくいかないのかと思います。

「義」という大きなバランスを測る時?お金や物資にて思考するのではなく

「目に見えない仕組み」つまり「無条件の対話」から始まるのではないのでしょうか?


日本雛形理論と地図のロマン: Fractal Underground Studio
http://fractal-ihi.sblo.jp/article/180520295.html

日本雛形理論と地図のロマン

◆日本雛形理論

地図帳を眺めていて、「オーストラリアと四国ってにてるなぁ」とか「ニュージーランドって日本列島に似てるなぁ」と思った人は多いと思います。こうした考えは昔の人にもあったようで、明治時代あたりに、そうした地形の類似を考察したユニークな『日本雛形理論』というオカルティックな仮説が登場しました。『日本雛形理論』とは、日本列島の形は世界の全ての陸地の縮図になっているという思想で、実際にけっこう類似点は多く、偶然だとか思い込みとかで退けるのはもったいないくらいにワクワクする面白い仮説です。霊界旅行で有名な日本のスウェデンボルグ、出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)が唱えたことで一躍有名になりましたが、それ以前から世界と日本の地形の類似を指摘した仮説は明治時代初期から存在していたようで、明治2年に発行された作者不詳の奇書『神典図説(しんてんずせつ)』にも、日本と世界の対応図が描かれていたようです。世界の陸地の全容がある程度はっきりしてくるのが16世紀頃ですから、もっと前の時期にこのような発見をする人がいてもおかしくない気がしますが、日本は長い間鎖国してたので、黒船によって世界と対峙せざるをえなくなってきてからやっと日本以外の世界の有り様というものに関心が向いたというのもあるかもしれませんね。

日出(ひ いづ)る国の日の本(ひのもと)は、全く世界の雛形ぞ。神倭磐余(かむやまといわれ)の君(きみ)※が大和(やまと)なる、火々真(ほほま)の岡に登り坐(まし)、蜻蛉(あきつ)の臀嘗(となめ)せる国と、詔(のら)せ給ふも理(ことわり)や。我(わが)九州は阿弗利加(アフリカ)に、北海道は北米に。台湾島は南米に、四国の嶋は豪州(オーストラリア)に、我(わが)本州は広くして、欧亜大陸其儘(そのまま)の、地形を止(や)むるも千早振(ちはやふる)、神代(かみよ)の古き昔より、深き神誓(ちか)いの在(いま)すなり。

※神倭磐余の君=神武天皇

『いろは神歌』出口王仁三郎 大正7年(1918年)


この『いろは神歌』にも歌われているように、王仁三郎の日本雛形理論では台湾を南米大陸と照応させています。台湾は明治28年(1895年)から昭和20年(1945年)までの間は日本が統治してましたから、そうした時代的な背景もあって、ちょうどうまくこの理論が成立している感じですね。各パーツの照応にはいくつかバリエーションがあって、南米を北海道に当ててたり、また別の説では淡路島を南米に当てているケースもあるようですが、やはり王仁三郎の雛形説が一番しっくりハマっている印象があります。

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これは通常の世界地図です。この地球上の主な陸地に、雛形理論が成立した時代に日本の一部だった台湾を含めて当てはめてみると以下のようになります。

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この説をはじめて知ったときはけっこう似てるのに驚きました。四国とオーストラリアの類似はかなりのそっくりさんですね。本州も複雑な地形ながら、意外に一致点は多く、アラビア半島と紀伊半島、インドは静岡あたり、インドシナ半島は伊豆半島に対応しているのがわかります。九州や台湾が共に南の暖かい地域に割り当てられている所や、北米と北海道も形状だけでなく、共に新しい開拓地という歴史的な意味合いまでも通底したものがあって意味深なものを感じます。

四国とオーストラリア、九州とアフリカはとくに似てますよね。ユーラシア大陸と照応しているのは本州で、その最大の湖である琵琶湖の位置がカスピ海の位置に近くにあります。ほかに、富士山とエベレスト山、伊勢神宮とメッカ、世界最多人口を抱える中華人民共和国は日本最大の人口を抱える都市、東京の位置と重なります。形の一致だけでなく、宗教的な聖地や、人口などまで一致点があり、なかなか神秘なロマンを感じさせます。コジツケと呼ぶには出来すぎているようにも感じますし、理性では根拠のない珍説だと否定しますが、本能的にそれだけではない何かを感じます。オカルト界隈で有名な説といううさん臭さが邪魔して真剣な議論にならない珍説ということになってますが、コジツケというには同じようなノリでコジツケ出来る国は他にあまり見当たらないですし、個人的には何か見えない世界からの霊妙な意志を感じます。出口王仁三郎はまた「日本で起こる事件は世界でも起こる。(逆もあり)」という国家規模の趨勢も対応していると説いたことも知られていますね。

突っ込みどころを探せば「完全に一致してるわけじゃない」「似てない部分は無視している」などいくらでもでてきますが、人間の親子でさえ双子のように似てるわけじゃないですから、このレベルで似てるなら十分に何かの〝意味〟、つまり超越的な次元での寓意を感じてしまいますね。このような日本を特別視したモノの見方をするのは、そのつもりがなくても自民族の優越性を自慢してるような居心地の悪さを感じる面もありますが、また一方で「自分や自分の属している国が特別であってはおかしい」という無意識的な考えも根拠のない固定観念にすぎません。

日本人に限らない話ではありますが、日本人はとくに、ポジティブな情報よりもネガティブな情報を信じるようなところがあり、都合のいい話より都合の悪い話のほうが信憑性があると考えがちなところがあるように思います。しかし、都合の悪いことも都合のいいこともどちらも存在してるのがこの世界ですから、都合がいい話なら普通にラッキーということで楽しめばいいいのかな、とも思います。

マジックショーを見ても、その不思議さを純粋に楽しむより、まずは種明かしにこだわるような国民性なので、何度もマジックブームがおこってもいつも短命で終わってなかなか定着しないのは、種明かしにこだわりすぎるなど、マジックの楽しみ方がよくわかっていないからかもしれません。このような国民性は、16世紀に日本に初めてキリスト教を伝えたことで知られるフランシスコ・ザビエルの書簡でも指摘されていて面白いです。

日本人はどの国民より何ごとでも道理に従おうとします。日本人はいつも相手の話に聞き耳を立て、しつこいほど質問するので、私たちと論じ合うときも、仲間同士で語り合うときも、話は全く切りがありません。(p89)

『ザビエルの見た日本』ピーター・ミルワード著 松本たま訳 講談社学術文庫 1998年


ザビエルは宣教師ですから、当然神についての質問も日本人からたくさんうけます。神が完全に善なる存在ならなぜこの世に悪があるのか?とか、なぜ悪魔を創ったのか?いくら生前に罪をおかしたとはいえ、なぜ地獄というものまで作って永遠に魂を責め続けるのか?慈悲の心がない神なのか?などと、懐疑主義的に直球で問題の核心を突いてくる日本人に、「悪魔ももとは善いものとして創造されたが、その過失のために悪者になり、そのために永遠の罰と責め苦にさらされているのだ」などと教条主義的な苦しい受け答えに終始しています。

日本人は、この万物の創造主である神は善いものか悪いものか、また、それは善悪双方の根源であるかないかについていろいろ質問しました。私たちは、創造主である神は一人おられるだけで、それは至高の善であり、悪はみじんも混じっていないと答えました。
日本人はこの答えに満足しませんでした。悪魔は生来悪者で、人類の敵だと彼らは考えていて、もし神が善だとすれば、それほど悪いものを創造するはずはないと言いました。この主張に対して私たちは、悪魔ももとは善いものとして創造されたが、その過失のために悪者になり、そのために永遠の罰と責め苦にさらされているのだと答えました。これに対して日本人は、人間をそれほど厳しく罰する神はあわれみ深い者ではないと反論しました───では神が、私たちが教えたような方法で人類を創造したとしたら、神はいったいどういうわけで神を礼拝するために人間を世界に送り出しておきながら人間が悪魔に誘われたり苦しめられたりするのを許したのか。神が善なら、神はどうして人間をこれほど弱くて、罪に傾きやすくて、すべての悪を逃れることができない者にしたのか。そしてまた、神がこれほど恐ろしい責め苦を永遠に耐え忍ばなければならない者に対して何のあわれみも持たずに地獄という牢獄を創造したとすれば、それでも神は善だと言えるか。(p87~88)

『ザビエルの見た日本』ピーター・ミルワード著 松本たま訳 講談社学術文庫 1998年


当時の日本人はキリスト教的な宗教観は全くの未知のものであったはずですが、かなり的確な指摘をしていますね。日本は仏教というロジカルな宗教を先に受け入れていたせいか、神学的な内容にも論理的に反駁していて、このあたりのやりとりは小気味いいです。この時代のキリスト教者の神観はかなり教条主義的で融通がきかないところがあるのがザビエルの書簡集を読んでいても感じますね。まぁ、ザビエルの所属するイエズス会という組織自体が、「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれ、世界中への伝道活動を積極的に行うアクティブな団体でしたから、一般のクリスチャンの考えよりもそうとうに原理主義的な傾向があったのかもしれません。こうしたある意味屁理屈で矛盾を解釈する部分にはヨーロッパ人でさえ不信感をもっていましたし、異文化圏の日本ではなおさらだったのでしょう。

ザビエルは日本人を、合理主義者で知識欲が旺盛、好奇心に満ち、どの国民よりも盗みを嫌う民族であると絶賛していますが、布教の内容は正直いただけない印象があります。キリスト教自体を知らない当時の日本人の先祖は、当然生前に洗礼をしていないわけですが、そうしたご先祖様はザビエル的には皆地獄で永遠の責め苦に苛まれていると断じています。そして、その地獄にいる先祖を救う方法も皆無であるとしてるので、そうとう当時の日本人は困惑したみたいです。ザビエルの論法だと、そもそもイエス・キリストの生まれる前の世界では、すべての人類は死んだら地獄のみへの一方通行でひとりも天国には行けないということになります。こうした昔のキリスト教の情緒的な善悪二元論的な解釈は整合性を著しく欠くもので、ニーチェは厳しく批判していましたし、ヘルマン・ヘッセやユングもキリスト教的な抑圧にあるヨーロッパの解放を東洋思想に求めました。近年は、ジョセフ・マーフィーをはじめとするニューソート思想で再解釈されたキリスト教や、パラマハンサ・ヨガナンダなどヒンドゥー教の聖者によるキリスト教の解釈などの影響で、昔の教条主義的な解釈をされたキリスト教だけがキリスト教の本質ではないことが認知され、新たな価値を持ってきたように思います。

話が横道にそれましたが、『日本雛形理論』に話を戻しますと、こうした仮説はなにかとイデオロギー的に解釈されることが多く、実際にそういう面もなきにしもあらずですが、ふつうにこのユニークな偶然の一致は面白いと思いました。なんというか、見えない世界からの精妙な影響力のようなものの一端を垣間みているような感じで好奇心をくすぐる説です。

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今度は逆に世界の陸地を使って日本列島っぽく組み合わせてみました。

「日本雛形理論」で検索すると、全国各地と世界各国との詳細な対応を解説したサイトなどもヒットしますので、興味のある方は調べてみると面白いです。



◆世界のミニチュアとしての地図

『日本雛形理論』の面白さは、日本という国自体が縮小された世界、つまり世界地図の役割をしているという入れ子構造にあると思います。日本の国土そのものが地球の地図になっているというところがこの仮説の魅力ですね。そもそも地図自体がロマンあふれる魅力的なものですから、世界を新聞紙くらいの大きさに縮めて携帯できるようにしてしまった地図という存在は、その実用性を超えてコレクションの対象にもなっている事もうなづけるところです。

想像力の冒険王!
テーブルの上のアメリカ大陸を
一日二往復目で走破しても
息切れしない私は 魂の車輪の直径を
メートル法ではかりながら
「癌の谷」をいくつも越え捨ててきた

『ロング・グッドバイ』(抜粋) 寺山修司


大好きな詩、寺山修司の『ロング・グッドバイ』の序盤に出てくる描写ですが、「地図」という言葉を全く使わずに地図を拡げたテーブルを描いています。逆に、地図という言葉を省いたからこそ、サボテンと荒野が続く広大なアメリカ大陸をテーブルの上に幻出させる言葉の魔術が成功しているともいえますね。

学生時代など、なにげなく地図帳を開いて「エロマンガ島」とか「スケベニンゲン」の位置を確かめたりした方も多いと思います。そういうのもまた地図の愉しみのひとつですね。

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江戸時代初期に描かれた世界地図の屏風絵。北海道がまるまる消えているのがミステリアスです。

地図というもの自体が、現実の空間を二次元的に縮尺したミニチュア世界ですから、それ自体で胸のときめくロマンチシズムを感じるのは前述したとおりです。技術が未熟だった過去の時代につくられた不正確な古地図などは、正確な今の地図よりも、当時の時代の技術力や世界に対する好奇心や憧れまでもが封じ込められていて、格別の味わいがありますね。未踏の地は、誰も情報として存在が未確認であるために、事実上存在しない土地ということになっているのもミステリアスなムードがあります。江戸時代の古地図に、北海道がまるで存在しないかのように消えているものがいくつもありますが、こうしたものもなかなか不思議な感じがします。北海道の場合は、存在自体は昔から知られていましたが、19世紀初頭に日本の管轄下となった新しい地なので、それ以前の地図ではそうした政治的な理由で消えてるのでしょうね。イデオロギーによって無い事になっている土地というのも不思議な感じがします。

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「ヨーロッパの新しい平野と完全な地図 (New Plain and Exact Map of Europe)」 17世紀
ニコラス・ビッシャー(nicolaes visscher)による地図を元にした、ヨアン・ブラウ(Joan Blaeu)による英語版の地図。欧州の地図にも北海道が消えてるものが複数あります。


メモ参考サイト江戸時代の世界地図(google画像検索結果)

初期の世界地図(ウィキペディア)

また、数年前の都市伝説ブームで話題になった杉沢村などの〝地図に載っていない村〟の話も興味を惹かれますね。本来リアル世界と一対一対応しているはずの地図という案内板に無い場所というのは、異世界っぽい幻想をかきたててとてもミステリアスです。隣町の路地裏など、我々にとって足を踏み入れていない未知の場所は身近にも無数にありますから、地図というのは、目的地にたどり着くために必須の頼りになる案内役です。案内役ですから、嘘つきでは困りますので、地図はいつも正直で正確であることが求められます。こと近年では地図情報の更新は頻繁に行われるようになってきたので、いつしか地図に載っている情報は正しくて当たり前のように思い込んでいるフシが我々にはあります。そういう意味では、地図上の世界もまたリアル世界に影響を及ぼすもうひとつの世界でもあります。そこにあるはずの場所が載ってなかったり、無いはずの場所が載ってたりすると、とたんに平凡な日常に異次元の扉が開いてしまったような不可思議な違和感を感じるのだと思います。地図に無い街の話は杉沢村の都市伝説が流行るよりもずっと前にSF界の鬼才、P・K・ディックが短編小説で披露していたのを思い出します。以下に、その原作を幻想小説研究家だった時代の若き日の荒俣宏が短くリライトした逸品を引用します。


地図にない町
P・ディック原作

スペード「そんな駅ありませんよ!」

 その小男は、窓口へ五ドル札を差し出した。
「切符を一枚。メイコン・ハイツ行きのを。」
「メイコン・ハイツ?」
駅員は、驚いて路線図を調べた。
「お客さん、そんな駅はありませんよ。」
「ない? 冗談きついな。私はメイコン・ハイツに住んでいるんだぞ。」
「ないものはないんです。ほら、この路線図を見てください。ありもしない駅の切符なんか、おいてあるわけないでしょう?」
「そんなバカな! 私はもう半年もこのB電車を利用しているんだ。」
 小男は路線図をひきよせると、熱心にそれを調べだした。ふいに小男の姿がパッと消えた。路線図だけがパタンと床に落ちた。
 駅員は驚きで息が詰まりそうになった。
 数分後、駅員はまたあのことばを聞いた。
「切符を一枚。メイコン・ハイツ行きのを。」
 さっきの男だった。駅員は青くなった。が、今度は男を事務室のなかにひっぱりこんだ。
 すると、その男はむくれだした。
「切符を一枚買うのになんだって手間をとらせるんだ。なぜいつものように売ってくれない!?」
 助役のペインがとんできて、男に言った。
「あなたはホントに、いつもこのB電車を利用なさっているんですか?この路線には、メイコン・ハイツという駅はないんですがね。」
「イヤになるなあ。きみたちは自分の鉄道のこともよく知らないのか! この駅からちょうど49分のところがメイコン・ハイツだ。人口は5000ぐらいかな。私は二年ほど前から、その町に住んでいるんだ。」
おかしいな。その町は地図にもないし、市町村名簿にものっていませんよ。私たちは…。」
 ペインはことばをとぎらせた。目の前で、男の姿は吹き消すように消えてしまったのだ。

スペード四次元の停車場

電車は殺風景な平野を走っていた。ところどころ丘があり、ハイウェイにそって走る車が見え、電柱が次々に現れては消えていく。
 ペインはまた腕時計を見た。乗ってから41分すぎていた。彼はメイコン・ハイツというところがあるかどうか、確かめにきたのだ。
 太陽がちょうど地平線に沈んで、夕暮れが平野をつつみはじめた。
 あの男のいった49分にあと1分、50秒、40秒…。ペインは緊張し、息を殺した。
 そのとき彼は、平野の上に半透明の煙幕のようなものが横に長くたなびいているのを見た。
 なんだろう? かすみにしては変だ。
 急にブレーキの音がし、電車が停止した。
 ペインの向かい側にすわっていた背広の男が立ち上がってドアのほうへ行き、電車から地上へ飛び降りた。
 男は足早に野原を横切っていき、あの煙幕のようなもののほうへ歩いていった。
 男のからだが宙に浮いた。彼は地上から30センチほどのところを歩いていた。それがだんだん高くなり、地上1メートルの高さになった。やがてその姿は煙幕の中に消えてしまった。
 ペインはあわてておりようとしたが、もう電車はスピードをあげていた。
 彼は車掌室のほうへスッとんでいった。
「おい、今の停車はどういうわけだ?」
「え? あそこにはいつも止まりますが…!?」
「バカをいえ。あんなところに駅はない!」
「B電車はメイコン・ハイツにはいつも停車します。きょうも平常どおり、時刻表どおりです。」
 車掌が差し出した時刻表をペインは見た。
 ウソではなかった。メイコン・ハイツ駅は、確かにそれに出ていた。
 夕闇の中で、あの巨大な煙幕のようなものは、急速に形を整えていた。一つの町が生まれつつあるようにも見えた。

スペード「過去」がひっくり返った!

 翌朝、ペインは恋人のローラが住んでいるアパートにやってきた。
「どうだった? わかったかい?」
と、ペインはせきこんでたずねた。彼はローラに、メイコン・ハイツという名について、図書館で古い記録を調べてもらったのだ。
「わかったわ。七年前に、郊外に新しく三つの住宅地を開発する計画がたったの。ところが三つのうち決まったのは二つで、一つはとりやめになったのね。それがメイコン・ハイツよ。たった一票差で議会で認められなかったのよ。」
「そうだったのか───。」
 ペインは考えこんだ。メイコン・ハイツはあと一票で承認されるところだったのだ。つまりそのときの空間と時間の流れはきわめて不安定だった。その時期がすぎたあと、まだ完全にかたまっていなかった過去に変化が生じたのだ!

 ペインはまた電車に乗って、メイコン・ハイツへ急いだ。
 彼の予感はあたった。駅におりると、午後の日差しをあびてきらきら輝くメイコン・ハイツの町があった。24時間前にはただの荒れ地だったところに、商店街が、スーパーが、銀行が、そして住宅がたちならんでいた。
 ごくふつうの人々が、町を歩き、買い物をし、喫茶店やスナックで楽しそうに話していた。
 ペインは、女の子のひとりにきいてみた。
「どれくらいこの町に住んでいるの?」
「そうね、もう二年になるかしら。」
 青ざめた顔で彼は町をながめた。信じられなかった。だが、町はまちがいなく実在していた。
 ふいに、彼はすべてを理解した。
《過去が変化すると、現在もその影響を受け、変わってしまうことになる。そうだ、このメイコン・ハイツは広がっているのだ。丘の向こうへの、自分の町の中へもこの町の人たちははいりこんでいるのだ! 自分の町も今、変化しつつあるのだ!》
《すると、恋人のローラはまだそこにいるだろうか? 自分の生活に変化はないだろうか?》
 彼は恐怖にとらわれた。もう、メイコン・ハイツどころではなかった。彼はタクシーをつかまえ、自分の町へ向かってぶっとばした。
 町なみが矢のようにすぎていく。やがて自分の町へはいってきた。彼は町を見回した。
《大きなデパート。あれは前にはなかったぞ。あれ、ここにあった肉市場はどうしたんだ!?》
 すべてのものが変わりつつあった。
 心臓が破裂しそうだった。彼はタクシーをおり、恋人のローラのアパートへかけこんだ。
「ローラ、きみは大丈夫か!」
 彼は絶叫した。台所からローラが目をまるくしてとびだしてきた。
「まあ、ジミーが目をさましたじゃない!」
「ジミー? い、いったいだれだ、それは?」
「あら、あなた、私たちの子ども忘れちゃったの?」
 ローラはそういって、かたわらのベッドに寝ている赤ん坊を見て、にっこり笑った。(完)

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『世界の恐怖怪談』荒俣宏、武内孝夫著 学研 1977年


時空の歪みという壮大なテーマをごく普通の一般人の目線で描いていて、異世界に迷いこむリアルさを感じる傑作だと思います。たった一票差で議会の承認を得られなかったメイコン・ハイツという存在しないはずの住宅地に迷いこんでしまった男の話ですが、一票差で町そのものが生まれるかどうかが決まるなどのギリギリの決断をしているような〝バランスの悪い〟過去はとても不安定で、ちょっとしたきっかけがあると、もう片方の可能性で成立して分岐していた世界に迷いこんでしまう事がある、というようなことを匂わせる描写がとてもユニークで面白いです。何か次元を超えたあるショックが生じるとその影響で、不安定な時空のある箇所は、線路が切り替わるように、可能性の高い近隣の平行世界に接触したり融合したりする場合がある、という感じでしょうか。未見ですが、先頃米国でドラマ化された「もしも第二次大戦でナチスと日本の同盟国が勝利していたら?」という平行世界を描いた『高い城の男』もそういえばディックの作品でしたね。どちらも、あり得た可能性のある〝もしもの世界〟を描いた作品ですね。

2004年に2ちゃんねるの書き込みが元で広まったといわれるネット発祥の都市伝説「きさらぎ駅」の話も存在しない駅の話でしたね。それ以前の2002年にサウンドノベルゲームの『最終電車』でも似たようなシナリオで異世界に列車ごと迷いこんでしまった不思議な話がありましたが、電車とかバスとか飛行機や船など、乗物系の不思議話は独特のムードがあって面白いです。スティーブン・キング原作の映画『ランゴリアーズ』は飛行機ごと異次元に迷いこんでしまった話で、独特の〝時間〟の解釈がとても面白かったですね。

乗物とは見方を変えれば〝動く密室〟みたいなものですから、「もしかしたら意図しない目的地に連れていかれるかもしれない」という空想が入り込む余地があるのかもしれません。そうしたところが、何かの拍子に別世界に通じてしまいそうな、不思議な感覚を誘うのでしょうね。

メモ参考サイトきさらぎ駅とは?(ピクシブ百科事典)

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かつてオーパーツではないかと騒がれた「ピリ・レイスの地図」 1513年

地図のミステリーというと、オーパーツで有名なピリ・レイスの地図がありますね。1513年に作成されたこの地図には、当時まだ発見されてされていなかった南極大陸(1820年に発見)が描かれている!ということで話題になりましたが、「南極に見える部分は実際は南米大陸なのではないか?」という懐疑的な主張も説得力があるために、今ではあまり取り上げられることも少なくなりました。理性的に解釈すれば、懐疑派の言うことのほうが合理的かつ論理的ですから、一般にはこのピリ・レイス地図はオーパーツではないということで決着してしまってるかのような雰囲気ですが、オーパーツである可能性もゼロではないですし、不定形の羊皮紙に宝島の地図のようにデコラティブに描かれた風情も相まって、未だにそこはかとない神秘な雰囲気を醸し出していて素敵な地図だと思います。

メモ参考サイトピリ・レイスの地図(ウィキペディア)

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カボチャ型にぐにゃりと歪んだ地球に描かれた世界地図。その北極点に結んだロープで地球を軽々とつまんで持ち上げる神の右手がなんとも神秘的でイイですね~ よく見ると右上の端っこにサツマイモみたいな形にひしゃげた日本が描かれてますね。これは1602年にウィリアム・キップ(William Kip)によって作られた、わずか8センチほどの直径に描かれたオカルティックな世界図の版画です。世界に二つしか現存しない非常にレアな地図で、イングランドのアマーシャム(Amersham)という町に在住するS・イスラー(S.Isler)氏と大英博物館のみが所蔵している地図のようです。書き込まれている碑文のほとんどはヘブライ語の「エホバ」を除いてラテン語で書かれています。

こちらのオカルティックな味わいのレアな世界地図も南極大陸発見以前に作られたものですが、ふつうに南極が描かれています。調べてみると、すでにプトレマイオスが南極の存在を2世紀頃に予言していて、ずっと想像上の仮説のままではありましたが、南極に大陸が実在する可能性はずっといわれ続けてきたようです。この図の南極は実際よりもすごく巨大に描かれてますが、「北半球の陸地とバランスをとるようにそれに匹敵する面積の陸地が南の果てにあるのではないか?」という仮説に則ったもののようです。この当時考えられていた南極大陸の存在って、ほとんどムー大陸とかアトランティス大陸とかと同じくらいにミステリアスな存在だったのでしょうね。ちなみに地図上に描かれた南極大陸に横断して書いてある「TERRA AUSTRALIS INCOGNITA」というラテン語の文は「南の未知の土地」という意味です。

メモ参考サイトメガラニカ(ウィキペディア)
メガラニカとは、かつて想像されていた仮説上の南極大陸の名前です。

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