https://www.blogger.com/blog/post/edit/6555249751919114552/6786028358335019092
キリストは何故日本に来たか? その遺跡を探る Kindle版
仲木 貞一 (著), 犬塚 惟重 (はしがき) 形式: Kindle版
2.9 5つ星のうち2.9 3個の評価
CENTURY
20
特別同時上映
キリストは日本で死んだ
遺蹟が物語る
信ぜられない 説がある!とても
事實の話!
タの丘で刑死した筈のキリストが日本秋田縣十和田湖畔で死んだと云ふ傳
説がある! とても信ぜられない様な話だが本篇を見ると本當でないかと思はれ
これは珍しい。初めて見た。何年の映画チラシだろう? 可能性としては、昭和14年公開の仲木貞一監督の「日本に於けるキリストの遺蹟を探る」(国民文化映画協会)とやはり同年公開の同盟通信社映画部制作「基督日本在住伝説」(同盟外国ニュース)であるが、タイトルはいずれとも違う?
https://x.com/zqqo3tg6jklumug/status/1754891202288353455?s=61
https://www.instagram.com/polyfar/p/CRrgRb9J8nV/
山根キク、仲木貞一らが作ったという映画『日本におけるキリストの遺跡を探る』(国策文化映画協会、1939年)とは違う作品なのでしょうか?
https://dl.ndl.go.jp/pid/1092270/1/22
以前から戸来村キリスト伝説との関係で仲木貞一のキリスト映画に関心があって短文を書いたこともあったが、この映画チラシでは秋田の十和田湖畔でキリストが死んだとあるのも不思議。ほかにも「キリストは日本で死んだ」というタイトルで映画が撮られていたのだろうか? 情報求む。 #キリスト伝説 pic.twitter.com/4kjE9W3DNB
2024/02/07 0:52
藤野七穂
@zqqo3TG6JkLUmUg
https://x.com/zqqo3tg6jklumug/status/1754895726390456824?s=61
https://x.com/zqqo3tg6jklumug/status/1754891202288353455?s=61
※映画はもう1本、同年に同盟通信社映画部制作「基督日本在住伝説」(同盟外国ニュース)もあったといわれるが、詳細は未詳。
「キリストの墓伝説」を
撮った幻の映画とは?
しんごう
さわぐち
新郷村の「澤口家の古墳」 が、 「キリストの墓」とし
へらい
て“再発見”されたのは、 戸来村時代の昭和10年 (1935)
のこと。今日では書籍・雑誌などの記事でかなり流布し
ているが、「キリストの墓」 伝説が映画になっていたこ
とは意外に知られていない。
なかぎしていいち
お
昭和14年に仲木貞一が監督した作品 「日本に於ける
※
キリストの遺蹟を探る」 は、 国民文化映画協会が制作し
た第1号から4号までの計8巻の映画だった。 実写の音
声入りで、 上映時間は67分程度。 検閲日が7月13日
だから、同月中か8月には公開されただろう。
ふけい
元ネタである 『竹内文献』 は不敬事件に問われてい
やまねくこ
ため触れず、 山根菊子 『光りは東方より』 (昭和13年
はちのへ
改訂版) をベースに、キリストの墓や八戸のキリスト上
おおいしがみ
陸地、大石神ピラミッド説、 澤口家の当主や村の「ユダ
ヤ的習俗・習慣」 盆踊唄 「ナニヤドヤラ」、 十和田古代
文明説等がドキュメンタリータッチで映像化されてい
だろうことが、同月刊行の仲木 『キリストは日本人なり?
その遺蹟を探る」(銀座書房) から類推できる。
180
以前から戸来村キリスト伝説との関係で仲木貞一のキリスト映画に関心があって短文を書いたこともあったが、この映画チラシでは秋田の十和田湖畔でキリストが死んだとあるのも不思議。ほかにも「キリストは日本で死んだ」というタイトルで映画が撮られていたのだろうか? 情報求む。 #キリスト伝説
https://x.com/zqqo3tg6jklumug/status/1754895726390456824?s=61
本書の内容が映畫化完成され
センセ
仲木貞一 構成・東
映 T 本に於け
キリストの遺跡を探る
全二
四五七米
世界三聖人の一人とはれたイエス・キリストは何が故に
何が故に日本臣民とな
遭れて日本に渡来したか?
つて護を
青森 下に遺る種々の傳設遺職に依って、この問題が明されると同時に、八紘一宇
しったか?
に始めた我が太古神代の文化が、燦然と光り輝やいた面影が、カメラを通じて所にぶことが出来るのである。
太ゴルゴダの丘で磔刑にせられた筈のイエス・キリストは、その 弟を身替りに立て、自らは
映畫の梗概
僅かの弟子を伴って、我が青森に遭れ来ったのであった。その上陸地の八戸港にはキリストに因み
あるが多建つてゐて、棟札までも残ってゐる。 さて、キリストは、はるばる遠く極東の日本に、何の爲めに法網を
って落ち延びて来たのだらうか? 尤も、それより二十年程前にキリストは一度我が道をびに来て来てる
るが… 當時世界の天職とはるた道沿き風美俗の我がに楽して、皇民の一人として意義ある事業を營みたい
と思ったからであると云はれてゐる。キリストは、八戸港から奥地に別け入り、五戸在来村の野月丘と云ふ所に永住
をしたのである。その附近から、古代の人が使用したと思はれる様々な土器石器が現れて来る。その附近
には、キリストが永遠に眠る墓と、母マリア及び弟イスキリの遺髪を埋めた塚とがある。その墓所の麓には、キリスト
の末裔と云はれる澤口一家がある。 主三郎氏及び離居房松氏の面貌には異人の面影が十分に残ってゐるやうだ。
彼等一家は、朝タキリストの墓に詣でる事を習はしとしてゐるが、その拜み方もすつかり異風である。この附近の女
は、夏多を間はず顔を布で包む。赤子が生れると額に赤く十字を記す。衣には六
此等は、
の紋を附ける・・・・・・
キリストと共に来り住んだ往昔の移民達の、今に傳へる風習だと云はれてゐる。キリストが近々悪ひ憧れて来た我が神
代の聖都と云はれてゐる迷ヶ平と云ふ高原は、神々として今にも紳在すが如き神々しい清浄な地である。その
近のドコの森と云ふ所には、太古の神秘をめた不思議なる文字石が幾多積重ねられてある。神の外苑十和田湖の湖
面には、時代ながらの平和な清らかな小説をたとえてみる… 皇化治ねく、入を一字にをさめた我が神代の治まれる
代の姿が其所に紳々しくもはれるのである。
國策文化映畫協會が製作完成し誇る可き優秀短篇映畫
新日本音楽映
大日本體育協會
厳なる神苑の朝の光を浴 化學映畫
躍る健康美
びて 伸上る萬物の生 清純、
信省授
高雅、 發カー たゆみなく生成
する 日本の黎明
燈臺の話
神苑の曙
千葉
音
? 異驚の界世
來渡督基
!!化畫映の説
K.B.E.K
ンピア専属歌手
伊藤久男
昇
松原
二葉あき子
東前吉千
田田葉
ヨーン 捲起す
史康風明人
人
撮影・高城奈策 製作林
案仲木貞
東
撮影高城策
平林丸夫
作
1
會協畫映化文策國
四五西座銀橋京市京東
番六二二七座活
山根キク - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A0%B9%E3%82%AD%E3%82%AF
仲木貞一が映画『日本におけるキリストの遺跡を探る』(1939年)を制作。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1092270/1/22
仲木貞一 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E6%9C%A8%E8%B2%9E%E4%B8%80
仲木貞一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 1954年4月28日)は、日本の劇作家、編集者である。
人物・来歴
1886年(明治19年)9月11日、仲木之稙の子として[1]、石川県に生まれる[2]。山口県に転じ、旧制・山口県立徳山中学校(現在の山口県立徳山高等学校)を卒業後、上京し、早稲田大学英文科を卒業する[1][2]。
1910年(明治43年)、24歳のころ、新聞『萬朝報』の懸賞戯曲に応募し、『世の終り』が1等当選した[1]。読売新聞社に入社、同新聞の記者[2]をつとめる傍ら、秋田雨雀らと『劇と詩』を創刊している[1]。その後、芸術座に入る[2]が、1919年(大正8年)には同劇団は島村抱月と松井須磨子の死により解散した。のちに新国劇に参加し、座付作家として『飛行曲』、女優・伊沢蘭奢の当たり役『マダムX』などの戯曲を発表、劇場運営にも関わった[2]。さらに、化粧品メーカーの伊東胡蝶園が設立した出版社「玄文社」(1916年 - 1923年)に入社、雑誌や書籍を編集した。
1920年(大正9年)6月に開所した松竹蒲田撮影所に33歳のときに入所[1]、翌1921年(大正10年)、田村宇一郎監督の『悪夢』で映画脚本家としてデビューしている。1923年(大正12年)、日本大学美術科(現在の日本大学芸術学部)講師となり、演劇論・映画論を講義し、文部省社会教育調査委員をつとめた[1]。
1927年(昭和2年)、40歳のころ、東京市芝区芝(現在の東京都港区芝)にあった日本放送協会東京中央放送局に入り、社会教育課長に就任した[1]。
1939年にキリスト来日説をもとに戸来村に取材した映画「日本におけるキリストの遺跡を探る」を制作[3]。出所の怪しいこの説を広める結果となる[4]。
1942年(昭和17年)、ゼ・チャーチワード(ジェームズ・チャーチワード)の著書の翻訳『南洋諸島の古代文化』(岡倉書房)を上梓、ムー大陸説をほぼリアルタイムで日本に紹介している。
1952年、犬塚惟重(会長)、三浦関造(副会長)、下中弥三郎(名誉会長)、山根キクら偽史関係者が集う日猶懇話会を発足[5]。
1954年(昭和29年)4月28日、死去した。満67歳没[2]。長男の仲木繁夫[1]は、大映で映画監督になり、その後、東宝(東京映画)で、雪村いずみ主演『あんみつ姫 甘辛城の巻』(1954年)やテレビ映画『怪奇大作戦』の監督として知られる。
ビブリオグラフィ
- 世界名著物語 第5編『ハーデイ物語』、実業之日本社、1914年
- 現代文芸叢書第42編『曉 戯曲』、春陽堂、1914年
- 新知識叢書 第5編『飛行機の進歩』、実業之世界社、1915年
- 秋田雨雀共著『須磨子の一生』、日本評論社出版部、1919年
- ゴールスワージー『社会劇全集上下巻』、天佑社、1919年 - 翻訳
- マクシム・ゴーリキー ゴオルキイ全集 第5巻『浮浪人』、日本評論社出版部、1922年 - 翻訳
- マクシム・ゴーリキーゴオルキイ全集 第8巻『同志の者』、日本評論社出版部、1923年 - 翻訳
- 『映画脚本の作り方』、弘文社、1925年
- 世界童話叢書 第10編『アメリカ童話集』、金蘭社、1927年
- 民衆文庫 第4篇『公共劇の理論と実際』、社会教育協会、1927年
- 小学生全集 77『教育映画物語』、興文社、1928年
- 雄文閣芸術叢書 第1輯(戯曲篇)『マダムX』、雄文閣、1932年
- 雄文閣芸術叢書 第2輯(戯曲篇)『飛行曲』、雄文閣、1932年
- 雄文閣芸術叢書 第3輯(戯曲篇)『蝕める恋』、雄文閣、1932年
- 吉田正良共著『最新トーキーの製作と映写の実際』、誠光堂、1935年
- 吉田正良共著『発声映画脚本の作り方』、弘文社、1935年
- 社会教育パンフレット第211輯『映画と観客心理』、社会教育協会、1935年
- 『支那を毒するユダヤ系英国人』、東京朝野新聞出版部、1937年
- 『北支に躍るスパイ戦』、東京朝野新聞出版部、1937年
- 『恋の銀翼』、東京朝野新聞出版部、1937年
- 『桜散る夜』、東京朝野新聞出版部、1937年
- 『蒙古に跳る我義勇軍』、東京朝野新聞出版部、1937年
- 『キリストは日本人なり?』、銀座書房、1939年
- 『キリストは何故日本に来たか?』、東亜文化協会、1940年
- ゼ・チャーチワード『南洋諸島の古代文化』、岡倉書房、1942年 - 翻訳
- 『東湖と反射炉』、錦城出版社、1942年
- 『日蓮』、新生閣、1943年
- 『林子平』、弘学社、1944年
- 伝記叢書 318 秋田雨雀共著『恋の哀史 須磨子の一生』、大空社、1999年3月 ISBN 4756808832
フィルモグラフィ
註
- ^ a b c d e f g h 『石川県大百科事典』(北国新聞社、1993年8月 ISBN 4833008084)の仲木の項の記述を参照。
- ^ a b c d e f コトバンクサイト内の記事「仲木貞一」の記述を参照。
- 映画「日本におけるキリストの遺跡を探る」『キリストは何故日本に来たか? : その遺跡を探る』仲木貞一 著 (東亜文化協会, 1940)
- 『日本の偽書』藤原明、文春新書、2004/05, p65
- 吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史(<特集>スピリチュアリティ)」、『日本宗教学会宗教研究』第84巻第2号、日本宗教学会、2010年9月30日、 pp. 388-389.
外部リンク
- 仲木貞一 - 日本映画データベース
- 著作集 - 国立国会図書館デジタルコレクション
全般 | • ISNI • VIAF |
国立図書館 | • アメリカ • 日本 |
山根キク - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A0%B9%E3%82%AD%E3%82%AF
山根キク
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "山根キク" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年4月) |
山根 キク(やまね きく、1893年6月1日 - 1965年4月23日)は、日本の考古学、歴史学の女性ジャーナリスト、社会活動家、政治家。「竹内文書」から強く影響を受けており、キリストやモーセの墓が日本にあると主張した。本名は山根 菊子(やまね きくこ)。
人物・生涯
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2017年6月) |
年譜
- 1893年(明治26年)6月1日 - 山口県萩市に生まれる。実家は造り醤油屋[1]。
- 1900年(明治33年) - 母の勧めで浄土宗の寺の婦人会に出入りするようになり、茶や生け花を学ぶ[1]。
- 1902年(明治35年) - 9歳で母を亡くす[1]。
- 1906年(明治39年) - 寺の大施餓鬼法要で聴いた僧侶の説教に落胆する[1]。
- 1907年(明治40年) - 14歳のクリスマスの日にキリスト教に出会う[1]。
- 1909年(明治42年) - 16歳で真宗系の修善女学校に進学し、クリスチャンの同級生と教会に通い始めたが、親の反対に合い、女学校を中退する[1]。
- 1910年(明治43年) - 17歳のとき雑誌『婦人世界』で知った星田光代(日本に帰化したアメリカ人宣教師[2])に憧れ、2年後、星田らが運営する軍人伝道会がある横須賀に行く[1]。
- 1912年(明治45年) - 横浜の共立女子神学校に入学したが、父が亡くなり帰郷、休学を挟んで3年をかけて卒業し、その後伝道活動に入る[1]。フェリス女学院に入学する。その後に桜井女塾に入学する。[要出典]
- 1920年(大正9年) - 婿を取り結婚(四男をもうけるものちに離婚)[3]。
- 1923年(大正12年)11月 - 婦人参政同盟の発会式に上村露子、深澤美恵子らと参加する。[4][5]
- 婦人参政権獲得運動に没入する。当時は犬養毅や頭山満等の知遇も得、久布白落実、平塚雷鳥、市川房枝、山田わか、生田花世、吉岡弥生、大妻こたか等の多くの婦人運動家と離合集散を繰り返しながら、日本初の女性による政談演説を東京下町の選挙演説会場において一千人以上の一般大衆を前に大成功に終わり、この事が評判になり日本全国遊説活動する。
- 1924年(大正13年)6月27日 - 婦人参政同盟[6]の臨時総会で理事が改選される。この理事の中には、山根菊子の名前がある。[7]
- 1924年(大正13年)12月6日 - 婦人参政権獲得期成同盟創立委員となる。
- 1927年(昭和2年)11月20日 - 女子参政協会(山根菊子代表)は婦人参政同盟から脱会する。
- 1927年(昭和2年)-「日本婦人相愛会」の名のもとに派出婦会(家政婦紹介)を設立する。
- 1929年(昭和4年)- 幸徳秋水らが設立した萬朝報に入る。女性ではじめての婦人部長になる。
- 1930年(昭和5年)10月5日 - 日本と世界社の代表になる。貧民救済伝道事業雑誌『民衆公論』『女性時代』を創刊する。
- 1937年(昭和12年)10月5日 - 『光りは東方より : [史実]キリスト、釈迦、モーゼ、モセスは日本に来住し,日本で死んでゐる[8]』を発行する。
- 1939年(昭和14年)6月17日 - 国策文化協会の平林凡夫、同東隆夫、日大芸術学部教授仲木貞一らの一行が青森県三戸郡戸来村[9]を訪れ、映画「日本におけるキリストの遺跡を探る」のロケを行う。
- 1940年(昭和15年) - 太古研究会代表に就任する。10月刊行の『天国棟梁天皇御系図宝ノ巻き前巻・後巻』(児玉天民太古研究会本部)この後から児玉天民と同居生活が始まる。
- 1946年(昭和46年) - 第22回衆議院議員総選挙に東京都第1区で日本協同党から新人で立候補するも落選する。[10]
- 1952年 - 犬塚惟重(会長)、三浦関造(副会長)、下中弥三郎(名誉会長)、仲木貞一、小笠原孝次といった偽史関係者が集う日猶懇話会[11]が発足、これに参加[12]
- 1965年(昭和40年)4月23日 - 狭心症発作のため深夜自宅で就寝中に急死する。71歳であった。
著書
- 光りは東方より(1937年、日本と世界社)
- 天津祝詞ノ太祝詞事新解(1942年、日本と世界社)
- キリストは日本で死んでいる(1958年、平和世界社)
- 日本に秘められてある世界の正史(1964年、平和世界社)
キリスト教の独自の日本化
山根は「竹内文書」から強く影響を受けており、キリスト教に関してエキセントリックな個人的見解を発表した。キリストは処刑されておらず、死んだのは弟で、キリストは日本に来て、日本の女性と結婚し娘をもうけたと主張した。そして山野を歩き回っては、キリストの墓やモーセの墓を「発見」し、キリスト教を日本化しようとした。山根は『光りは東方より』で、「キリストの遺言状」を知っていると述べ、石川県押水町の通称・三ツ子塚という古墳をモーゼの墓であると主張した。[13]
モーゼの墓
「伝説の森公園 モーゼパーク」も参照
三ツ子塚には「聖者モーシェ大導位の霊位」という札が立てられ、山根の死後、宗教関係のグループなどが無断で立ち入るようになった。元々古墳にモーゼの伝説などなく、町の人々は困惑したが、押水町商工会はこれを町おこしとして利用しようと考え、1989年に「モーゼクラブ」を設立。町当局や教育委員会は歴史の偽造に加担することになり、宗教が絡むことから最初はかなり慎重な態度だったが、外部からの手ごたえが大きかったこともあり、町の予算1億5,000万円万を計上して古墳は整備された。町の関係者はこの古墳がモーゼの墓とは思っていなかったが、1993年に「伝説の森モーゼパーク」としてオープンした。[13]
脚注
- ^ a b c d e f g h 『光りは東方より』序言
- エステラ・フィンチについて
- 山根キク山根一郎
- 『日本労働年鑑 大正9−15年』 - 国立国会図書館 『第5巻(大正13年版)』(大原社会問題研究所編 法政大学出版局、1968年)p.615
- 『現代婦人運動史年表』(三井礼子編、三一書房、1974年)p.260
- 日本婦人協会
- 『日本女性運動資料集成 第1巻』 p.681-「婦人参政同盟略史」
- 光りは東方より : 史実 キリスト、釈迦、モーゼ、モセスは日本に来住し,日本で死んでゐる - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 現在の新郷村
- http://www.senkyo.janjan.jp/election/1946/99/008374/00008374_19676.html - ザ選挙
- 日猶=日本・ユダヤ
- 吉永 2010, pp. 388–389.
- ^ a b
参考文献
- 『日本女性人名辞典(普及版)』日本図書センター 1998 ISBN 4-8205-7881-2
- 『日本女性運動資料集成 第1巻〜第10巻』鈴木裕子編・解説 不二出版1993〜1998 第1巻p.681〜「婦人参政同盟略史」
- 『現代婦人運動史年表』三井礼子編 三一書房1974
- 『新聞集成 大正編年史 大正12年度版 中』(明治大正昭和新聞研究会 1985 p.1101)
- 1923年(大正12年)5月14日の東京日日新聞「婦人弁士の泣き演説 人気を呼んだ「性」の講演会」
- 女性時代 創刊号 複刻版 表紙画:恩地孝四郎、講談社、昭和57年複刻 日本の雑誌 昭和5年創刊
- 『キリスト日本渡来記』国際映画八巻 仲木貞一(日大芸術学部教授) 1939 <三村前渇 書、129頁参照>
- 『オール讀物』近藤日出造 1957
- 『野生の時代』佐野美津男 1975
- 中村伸浩、青木保(編)、1999、「新宗教と日本イメージ」、梶原景昭(編)『情報社会の文化1 情報化とアジア・イメージ』、東京大学出版社〈情報社会の文化〉 pp. 73-196none
- 吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史(<特集>スピリチュアリティ)」『日本宗教学会宗教研究』第84巻第2号、日本宗教学会、2010年9月30日、579-601頁、NAID 110007701175。none
外部リンク[編集]
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