2024年2月10日土曜日

Can live | Rockpalast | 1970 ダモ鈴木 1950-2024

 

 
 
Michiyo📚積読愛好家📚たまに翻訳📚
⁦‪@michimichikwd‬⁩
ダモ鈴木ドキュメンタリー映画『ENERGY』の日本語字幕版はこちらで観れます。ダモさん自身がヘイウェイ監督のために字幕を手がけました。ダモさんからは多くのインスピレーションとパワーをいただきました🙏✨
vimeo.com/ondemand/damos…
 
2024/02/13 18:33
 
 

https://vimeo.com/ondemand/damosuzukidoc 


Can live | Rockpalast | 1970

https://youtu.be/7zhdNviS0Vs?si=34liEJ8Vrs18pcIl


 
 
ciruelo records シルエロ・レコード
⁦‪@ciruelorecords‬⁩
ジャーマン・ロックを代表するバンドCanの71年3rdアルバム。クールでミニマルな歌ものの1枚目、CANの作品の中でも最も前衛的な2枚目からなる最高傑作に挙げられる作品。視聴は今作から全面参加したダモ鈴木の歌詞が震えるほどカッコいい「Oh Yeah」。虹の上から小便!
ciruelorecords.com/?pid=171663822pic.twitter.com/M22hjZ9tAJ
 
2022/11/24 14:24
 
 
 
 
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ciruelo records シルエロ・レコード
⁦‪@ciruelorecords‬⁩
logo_twitter-1497383721365.png
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こんなカッコいい日本語歌詞もそうそうないです。ダモ鈴木さんのご冥福をお祈りします。

一人でそこに座ってる 頭のイカレた奴 虹の上から小便 我らがヒモと呼ぶ LSDの街から離れ 餓鬼を怖れ 朝がまだ来ないのを幸いなことに
 
2024/02/10 23:14
 
 

https://x.com/ciruelorecords/status/1756320819486281789?s=61

 
 
代々木会館
⁦‪@yoyogikaikan‬⁩
ドイツから日本に来ると和食が
楽しみだったダモさん
とんでんや天狗に行ったね
コンビニやお店に入る時には必ず
店員さんに『こんにちは!』と挨拶するのでそれ以来出来るだけ
真似してる

#DAMOSUZUKI
#ダモ鈴木 pic.twitter.com/2VeYKo0Qqc
 
2024/02/11 2:06
 
 

https://x.com/yoyogikaikan/status/1756363968187363577?s=61

 
 
Prog Rock Songs
⁦‪@progrocksongs‬⁩
CAN - Paperhouse pic.twitter.com/t3eflezwRa
 
2024/02/11 2:30
 
 

https://x.com/progrocksongs/status/1756370005573160995?s=61

 
 
psychotronica
⁦‪@psychotronica_‬⁩
Can - Paperhouse
1971 / German TV / Beat-Club 
🔥sound on🔥 pic.twitter.com/tjuESEvQRY
 
2023/02/11 1:38
 
 

https://x.com/psychotronica_/status/1624085448103538691?s=61

 
 
s.h.i.
⁦‪@meshupecialshi1‬⁩
このインタビュー、当初は「ダモ鈴木にblack midiを語ってほしい」企画から始まり、そのお断り返信メールが掲載されたのですが、アンダーグラウンド主義を貫く語り口が期待以上の格好良さで(中略された箇所は特に)、常に飄々と尖り続けた方だったんだなと感じ入りました。ご冥福をお祈りいたします。
 
2024/02/10 23:06
 
 

https://x.com/meshupecialshi1/status/1756318739572945072?s=61




ブラック・ミディが濃密に語るカンとダモ鈴木、キング・クリムゾン、カオスな音楽世界 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36141

ブラック・ミディが濃密に語るカンとダモ鈴木、キング・クリムゾン、カオスな音楽世界 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

2ndアルバム『Cavalcade』が絶好調、今年9月には東名阪ジャパンツアーも開催するブラック・ミディにインタビュー。UK新世代ロックの旗手がプログレへの愛情と驚異の音楽観を語った。

先にこの記事ができあがるまでの経緯を説明しておこう。『Cavalcade』のリリースにあたって、レーベル(日本のBeatink / Beat Records)からは当初、ダモ鈴木との対談インタビューを提案されていた。カンのヴォーカリストとして知られる同氏とブラック・ミディは過去に共演歴がある。編集部としても素敵なアイデアだと思ったので、さっそく出演を打診してみることにした。残念ながらインタビューへの参加は実現しなかったが、ダモ鈴木から届いた返信は誠実で愛に溢れたもの。記事掲載の了承を得ているので、まずは貴重なメールをここで紹介しよう。

そのあとに掲載したQ&Aでは返信の内容も反映しつつ、バンドのプログレッシブな側面を掘り下げるべく、気鋭のライターs.h.i.に質問作成を依頼。ブラック・ミディのメンバーのうち、ジョーディ・​グリープ(Vo,Gt)とモーガン・シンプソン(Dr)が回答しているが、今回はほぼ全編でモーガンが語り倒している。


ダモ鈴木(Photo by Vincenzo Buscemi/Getty Images)

ダモ鈴木からの返信(一部を抜粋・編集)

久しぶりにブラック・ミディの名前を聞きました。彼らが元気でやっているようで喜ばしいです。

音楽雑誌に限らず雑誌や新聞は読まないのですが、彼らがまだ18歳だった頃に共演して、若いミュージシャンにありがちなメインストリームの姿勢ではなく、自分たちの音楽に対する前向きな自分たちの音を作るということは、初めて彼らのサウンドを聴いた時点から伝わってきました。ブリクストンのThe Windmillは私も何度となく出演した南ロンドンのキャパ150名程度の小さなベニューですが、ブッキング・マネージャーのティム(・ペリー)が私のやっていることを気に入って、定期的にコンサートをアレンジしています。私はその時その場限りの「今」の音楽を作っており、毎回ロンドンのミュージシャンとの共演を通じて、色々な挑戦をしてきました。その中のバンドの一つがブラック・ミディであったという事です。

彼らとはそのときに会っただけです。私がベニューに着いた時にはすでにリハーサルをしていて、その姿勢からも彼らの新鮮さは伝わってきましたし、会場には彼らの父親の何人か(この人達も私より何歳か若いのですが)も来ていました。彼らの音楽的センスが、若いブラック・ミディにDNAを通して伝わっているのでしょう。彼らも若い時にキャプテン・ビーフハートあたりを聴いてたのでしょう。

あれから何年か経っていますが、あの時の姿勢で彼ら独特の音……どこのジャンルにも当てはまらない方向に進んでほしいと思っています。


ダモ鈴木とブラック・ミディのセッション音源(2018年)

長々と書きましたが、私はインタビューをするほど彼らのことを知っているわけではなく、またアルバムを聴いて感想を述べるというのは私の世界ではありません。「生」の音楽しか聴かず、形が決まってしまったもの、自然でないものは私には合いません。

(中略)

私は聖書を基準とし、どの教会にも、組織にも属さないクリスチャンとして、それ故に常にこの体制という川の流れを避け、何処かの支流に位置している人間です。

Have a nice day!

God Bless You!
Energy!
Damo @ Cologne

***

その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 
人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 
すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 
そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
(マタイ伝24章36節から39節)

ブラック・ミディが濃密に語るカンとダモ鈴木、キング・クリムゾン、カオスな音楽世界

ダモ鈴木からの学び、ジャンルを超越すること

―実はこのインタビューの前に、ダモ鈴木さんにブラック・ミディとの関係について話を伺っています。ダモさんとの出会いと共演から学んだことについて教えてください。

モーガン:個人的には一番学びが大きかったギグだと思うね。今まで一度も会ったことのないアーティストと一緒に何百人もの観客の前で演奏するという彼の意欲に感激した。その点において彼を尊敬しているよ。学んだのは、とにかく流れに身を任せるということ。その流れはパワフルなものになるから。ものすごくクールな人だった。本当にすごいことをやっていると思う。

―カンの好きなアルバムは? 

モーガン:うーん、『Tago Mago』だね。

―どんなところが好きですか?

モーガン:流れがすごく良い。カンのアルバムは全部最高だけど。『Tago Mago』の「Halleluhwah」という曲は奇跡としか言えないよ。だからやっぱり『Tago Mago』だね。

Can - Halleluwah (from album Tago Mago 1971)







―ダモさんはまた、「ブラック・ミディと出会ってから何年か経ちましたが、これからも当時のように、どのジャンルにも当てはまらない方向に進んでほしい」と仰っていました。「どのジャンルにも当てはまらない」というのは、自分達の音楽や今回のアルバムにおいて重要だと言えそうですか?

モーガン:もちろん! それは活動を始めた時から意識していたことだ。俺たちは、人に「このバンドはこういうものだ」などと言われたり、枠にはめられないようにしようという思いが強くあった。そういう風に音楽をカテゴライズするのはよくあることだし、その人の立ち位置でその人なりに理解しようとしているのだと思う。俺たちを他のバンドと比較したり引き合いに出したりするのを聞くと、その人が今までにどういう音楽を聴いてきたのかという背景が見えてくる。数年前は、他のバンドと比較されると「いや、そういう感じじゃないんだけどな」と思ってフラストレーションを感じていたりしていたけど、その人の大好きなバンドと俺たちを比較しているのなら、それ以上の褒め言葉はないんだなということに気づいたんだ。でも、どんな枠にもはめられたくないという思いはあるよ。それに俺たちの作曲の仕方は自然な感じだから、「じゃあマスロックの曲を作ろう!」とか「ノイズロックの曲にしよう」とか「フォークっぽい曲をやろう」と意識して作曲をしているわけじゃないからね。音楽が自然に出てくるんだよ。

ダモ鈴木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダモ鈴木(ダモすずき、本名:鈴木 健次〈すずき けんじ〉、1950年1月16日 - 2024年2月9日)は、旧西ドイツの前衛的ロックグループのCANのボーカリストであったことで知られる歌手である。神奈川県出身。ドイツ在住。

概要・人物

元・カンのボーカリストとして世界的に名を馳せている人物であるが、1990年代以降は一貫してセッション・スタイルで世界各国を旅しながら、現地のさまざまなジャンルの音楽家、バンドと積極的な活動を行っており、インスタント・コンポージングと呼ばれる独自の即興的歌唱法で、楽譜もリハーサルもなしに行うライブ・パフォーマンスのスタイルを確立している。

カン自体は、一般に日本ではサイケデリック・ロッククラウトロックに分類されるものの、ダモの活動・音楽は、ロックパンクジャズノイズ・ミュージックエレクトロニカテクノヒップホップなど、さまざまなジャンルの音楽家からリスペクトを受けている。中でも楽曲「I Am Damo Suzuki」を発表しているザ・フォール、ダモのボーカルを収めた「Sing Swan Song」をサンプリングしたカニエ・ウェストなどが挙げられる。

一方で1960年代から1970年代にかけての国際派日本人ヒッピー世代を象徴する人物として、その自由奔放でアナーキーな行動など、数々の伝説を持つカリスマ的存在でもある。インターネットが普及するまで、カンでの活動期間中に撮られた写真やライブ映像など、資料は数少なく謎の存在であった。

経歴

ダモ鈴木の出発点は、音楽家と言うよりも、自由の境地を求めるボヘミアン、ヒッピーとしての生き方とリンクしたものであった。1960年代後半には新宿でヒッピー(フーテン)生活を経験、当時14歳で、「最年少フーテン」とも呼ばれた。また、当時のダモは、ジャズジェームス・ブラウンキンクスなどのファンだった。特にキンクスに関しては私設ファンクラブを主宰していた[1]

高校中退後の1960年代後半、単身日本を飛び出し、アメリカへ密航。以後、ヒッピーとして世界各地を単独放浪。アメリカ25州を経て東南アジア諸国を回り、ヨーロッパへと渡り、ギターの弾き語りをしながら放浪の旅を続けた。海外放浪をしようと思ったきっかけについて、ダモ自身は元から地理好きだったこと、厚木基地の近くで育ったことを要因として挙げている[1]

その際、金の無かった彼は、ヨーロッパの新聞に「パトロン募集」の広告を出し、物好きな金持ちが暫く彼の世話をすることとなる。その生活にも飽き、ヨーロッパでは、路上でギターの弾き語りをしていたが、当時はギターのコードも三つほどしか知らず、曲もすべて即興演奏していた。これが後のボーカル・スタイルの発端となる[1]。そして、人目を惹くため、長髪に火を点けたり、裸になったりといった、奇行の数々を繰り返し、ヨーロッパ各地を放浪していた。ダモ鈴木の名前は、森田拳次の漫画、「丸出だめ夫」に由来する。何をやってもうまく行かない漫画の主人公に自分を重ね合わせ、当初は、「だめ夫鈴木」と名乗っていたのだが、ヨーロッパの人々には、「だめ夫」は発音しづらく、いつの間にか訛って「ダモ」になったと言う。

当時のカンのライブ・スタイルは、地方であろうが24時間以上連続で演奏を続け、演奏中に交代制で仮眠と食事を行い、また演奏に戻るというものだった(例えば、「ユー・ドゥー・ライト」はアルバムでも20分超だが、ライブだと即興演奏により数時間に及んだという)。1970年4月、ライブ最中のカフェでの雑談で、カンを脱退したマルコム・ムーニーの次のボーカルをどうするかという相談を、ライブ中ながら小休止中のホルガー・シューカイヤキ・リーベツァイトが行っていた。既に何度もオーディションを行っていたが、なかなか理想的な人材が見つけられなかった(それも「歌が上手すぎる」という理由による)。

そんなある日、ミュンヘンでのライブの小休止中に、路上でギターを弾きながら奇声をあげていたダモを、シューカイとリーベツァイトが発見。ダモはその時ミュージカル『ヘアー』出演のためミュンヘンに滞在していたが、それにも飽き街頭に飛び出していた時だった[1]。ダモは即日採用の上、ライブに出演。この時、当時のドイツ情勢を背景とした観客同士の乱闘騒ぎが発生し、数十人が警察に連行されるという騒ぎになる[2]が、バンドとして、この結果は大満足であり、これ以降ダモは正式なメンバーとして迎えられる。しかし、ダモはカンの音楽に興味も持っておらず、偶発的な出会いによって参加したにすぎなかった。この出会いについてダモは「年寄りみたいな人ばっかりで変なバンドだなって思ったよ」と語っている[3]

ダモは以後、カンの全盛期を支える大きな力となった。即興的で型にとらわれないダモの歌唱法は、カンのサイケデリックな音楽によく合致し、他のボーカリストには見られない、類い希なフリークでアナーキーなフィーリングを生み出し、日本語による歌詞を配置した楽曲も少なくない。1973年にカンを脱退したが、リハーサル中に突然奇声を上げて飛び出していったと伝えられている。ただしダモは脱退の経緯、理由について積極的に語ろうという意思は持っておらず、経緯を含めた事情については判然としない[4]

一時ダモはエホバの証人に入信し、その教えにより、音楽の世界から身を引き、現地でサラリーマンを勤めた。ガン治療に於いて輸血を拒否した事で体重が激減、ガン再発によって更に激減。その時の体重は30kg台とも言われている。

1983年、音楽活動を再開し、ドンクルツィッファーや、ヤキ・リーベツァイトのファントムバンドに参加。1990年代以降、現在に至るまで、世界各国のさまざまなジャンルの音楽家やバンドとセッションをするダモ鈴木ネットワーク(ダモズ・ネットワーク)で活動している。来日時には、細野晴臣とラジオの生放送で大喧嘩を行った。

2005年にはマーズ・ヴォルタのギタリストとして知られるオマー・ロドリゲス・ロペス率いるオマー・クインテットのライブにも参加し、2007年にはオマーとのコラボレートEP『Please Heat This Eventually』を発表している。

2024年2月9日、がんのため死去[5]。74歳没。

インスタント・コンポージング

ダモ鈴木は自分の独自の歌唱スタイルを現在このように呼んでいる。これは、フリージャズなどに見られる、即興ではあっても予定調和的な部分が大きい「即興演奏」と区別するために、ダモ自身が提唱しているオリジナル・スタイルであり、とくにダモ鈴木ネットワーク・シリーズにおいては、全く何のリハーサルも行わず、音楽家同士の直感的セッションによって引き起こされ、次第に構築されていくアンサンブルや楽曲、すなわちサウンド、バイブレーションを主体とした考え方から来ている、独自なものと考えられる。そのため歌詞や音程はあってないようなもので、日本語・英語・ドイツ語とゆかりのある言語のどれでもない不定形の歌唱によって、文字通りその場のインスピレーションでコンポーズされる。

ディスコグラフィ

アルバム

  • カン 『サウンドトラックス』 - Soundtracks (1970年)
  • カン 『タゴ・マゴ』 - Tago Mago (1971年)
  • カン 『エーゲ・バミヤージ』 - Ege Bamyasi (1972年)
  • カン 『フューチャー・デイズ』 - Future Days (1973年)
  • カン 『アンリミテッド・エディション』 - Unlimited Edition(1976年) ※コンピレーション
  • ドンクルツィッファー 『イン・ザ・ナイト』 - In The Night (1984年)
  • ドンクルツィッファー 『III』 - III (1986年)
  • カン 『BBC セッションズ』 - The Peel Sessions (1995年)
  • ドンクルツィッファー 『ライブ』 - Live 1985 (1997年)
  • ダモズ・ネットワーク Tokyo on Air West 30.04.97 (1997年)
  • ダモズ・ネットワーク Tokyo on Air West 02.05.97 (1997年)
  • ダモズ・ネットワーク Osaka Muse Hall 04.05.97 (1997年)
  • ダモ鈴木バンド 『V.E.R.N.I.S.S.A.G.E.』 - V.E.R.N.I.S.S.A.G.E.(1998年)
  • ダモ鈴木バンド 『プロミス』 - P.R.O.M.I.S.E. (7CD Box) (1998年)
  • ダモズ・ネットワーク 『シアトル』 - Seattle (1999年)
  • ダモズ・ネットワーク 『オデッセイ』 - Odyssey (2000年)
  • ダモズ・ネットワーク 『JPN ULTD1』 - JPN ULTD Vol.1 (2000年)
  • ダモズ・ネットワーク 『メタフィジカル・トランスファー』 - Metaphysical Transfer (2001年)
  • ダモズ・ネットワーク 『JPN ULTD2』 - JPN ULTD Vol.2 (2002年)
  • Cul De Sac / Damo Suzuki Abhayamudra (2004年)
  • Sixtoo Chewing on Glass & Other Miracle Cures (2004年)
  • ダモズ・ネットワーク 『ハリアリス』 - Hollyaris (2005年) (2CD)
  • ダモズ・ネットワーク 3 Dead People After The Performance(2005年)
  • ダモズ・ネットワーク 『スオミ』 - Suomi (2006年)
  • Damo Suzuki and Now The London Evening News (2006年)
  • Damo Suzuki's network Tutti i colori del silenzio (2006年)
  • Omar Rodriguez-Lopez & Damo Suzuki Please Heat This Eventually (2007年)
  • Safety Magic Voices (2007年)
  • Music for a Good Home (2010年) ※Audioscopeからのオムニバス。ソロ名義で「Truck On Track」を収録。
  • Damo Suzuki & The Holy Soul Dead Man Has No 2nd Chance(2010年)
  • Radio Massacre International Lost in Transit 4: DAMO (2010年)
  • Damo Suzuki & Cuzo Puedo Ver Tu Mente (2011年)
  • Damo Suzuki & Congelador Damo Suzuki & Congelador (2011年)
  • Damo Suzuki & God Don't Like It Ensemble Live At Cafe Oto(2011年)
  • ダモ鈴木 & キラーボン 『KILLER-DAMO』 - Killer-Damo (2011年)
  • カン 『ザ・ロスト・テープス』 - The Lost Tapes (2012年) ※コンピレーション
  • ダモ鈴木ネットワーク 『鳥獣戯画』(2012年)
  • Simon Torssell Lerin / Bettina Hvidevold Hystad with Damo Suzuki Simon Torssell Lerin / Bettina Hvidevold Hystad with Damo Suzuki (2013年)
  • Damo Suzuki Seven Potatoes: Live in Nanaimo (2013年)
  • Damo Suzuki & Mugstar Start From Zero (2015年)
  • 1-A デュッセルドルフ 『Uraan』 - Uraan (2016年)
  • Damo Suzuki Live at the Windmill Brixton with 'Sound Carriers' black midi (2018年)

脚注

出典

  1. a b c d 『クロスビート』118ページ。
  2. このライブの観衆の中に、デヴィッド・ニーヴンがいた(『Remix』26ページ)。
  3. 『サイケデリック&エクスペリメンタル』254ページ。
  4. 例えば『Remix』33ページでは「なんとなく。飽きちゃったんだよね」とのみ答えている。
  5. ダモ鈴木が死去、ドイツの伝説的バンドCanの元ボーカル”. 音楽ナタリー (2024年2月11日). 2024年2月11日閲覧。none

参考文献

  • 『Remix』2005年9月号「特集・カン伝説」(文芸社
  • 『レコードコレクターズ増刊 サイケデリック&エクスペリメンタル』(ミュージック・マガジン社)
  • 『クロスビート』2011年12月号「ジャーマン・ロックの世界」(シンコーミュージック・エンタテイメント

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、Damo Suzukiに関連するカテゴリがあります。

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