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『陪審員2番』感想(ネタバレ)…都合のいい結末はやってこない
都合のいい結末はやってこない…映画『陪審員2番』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
原題:Juror #2 製作国:アメリカ(2024年)
日本では劇場未公開:2024年にU-NEXTで配信(日本)
監督:クリント・イーストウッド
DV-家庭内暴力-描写
陪審員2番
ばいしんいんにばん
『陪審員2番』物語 簡単紹介
ジョージア州で出産間近の妻と暮らすジャスティン・ケンプは、ある事件の陪審員に選ばれる。それはひとりの女性が道路の橋の脇下で無残な姿で発見されたという事件であった。検察は殺人と考え、容疑者として法廷に立たされたのがその被害女性の恋人であった男性だった。直前にいたバーで被害女性に乱暴な言動をふるっているのを目撃されていた。しかし、裁判でその話を聞いたジャスティンは自分の記憶が蘇る。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『陪審員2番』の感想です。
『陪審員2番』感想(ネタバレなし)
クリント・イーストウッド監督作を劇場で観たかった…
"クリント・イーストウッド"監督の最新作、日本で劇場公開ならず!
そんな失望のニュースが年末を控えた日本の映画ファンに届けられました。
語るまでもないハリウッドの巨匠となった"クリント・イーストウッド"。何度も引退の予感を漂わせていましたが、2021年に監督&主演作の『クライ・マッチョ』を手がけ、「ああ、この人は映画に骨を埋めるつもりなんだな」と実感したのでした。
まだ映画作りをするのであっても、2024年で94歳。いつ最期の作品になってもおかしくない。そんな見守りの気持ちでいるしかない私たち観客ですよ。
その"クリント・イーストウッド"監督が2024年に命を削ってもう1作、映画を作ってくれたのです。
それが本作『陪審員2番』。原題は「Juror #2」。
そんな老齢の名監督が渾身の力を振り絞って送り届けてくれたこの映画…日本では劇場未公開で配信スルーです。「U-NEXT」で独占配信されることになりました。
正直、嫌な予感はしていました。日本ではワーナー・ブラザースの動画配信サービスである「Max」はこれまで展開しておらず、最近になって「U-NEXT」と提携を結ぶ形で展開が始まりました。「Max」でのみ扱われる作品がやっと日本でもまとめて観やすくなり、これはこれで嬉しい話だったのですけど、懸念事項がひとつ…。つまり同時に、ワーナー・ブラザースの新作映画を劇場ではなく配信に移す場も出来上がったということです。
そして…案の定ですよ。
これは別に「日本ではクリント・イーストウッドの映画はヒットしないとみなされたから」ではないと思われます。そもそも"クリント・イーストウッド"監督作は近年も洋画の中ではそこそこ観客の入る映画でした。日本でも"クリント・イーストウッド"は根強く人気です。
じゃあなぜ?と言えば、それはワーナー・ブラザースの企業方針だから…としか…。実はアメリカ本国でも前作『クライ・マッチョ』は劇場公開と同時に「Max」(当時は「HBO Max」)での配信でも扱われていました。今回の『陪審員2番』も当初から「Max」オリジナル映画として配信する予定だったらしく、アメリカの限定的な劇場公開も「配信前の宣伝」とワーナー・ブラザース側は言い切っており、2024年12月20日に「Max」で配信されました(日本でもこの日に配信される)。
ひとりで700億円以上の報酬を貰っているワーナー・ブラザース社のCEO"デビッド・ザスラフ"は儲けしか考えていない奴なので、特大ヒット作以外は興味ないんですよ…。
たぶん今後はこういう目に遭うワーナー・ブラザース映画が増えるだろうな…。
暗くなるばかりだから、話を『陪審員2番』に戻しましょう。
この『陪審員2番』はタイトルからわかるとおり、法廷劇であり、裁判官や検察や弁護士ではなく、陪審員を主題にしています。陪審員を扱った映画と言えば、『十二人の怒れる男』(1957年)のような有名作もありますが、本作『陪審員2番』も陪審制度を通して人間の倫理観や道徳を扱っています。
詳しく述べるとネタバレになるので控えますが、個人的には90歳を超えた"クリント・イーストウッド"監督がここにきてまたズシンと来る良作を生み出してくれたな…と。「正しさ」を冷笑する輩ばかりになってしまった今の世の中に対し、「正しさから逃げるなよ」と忠告するような…そんな味わいがあって…。直球で真面目な映画を作ってくれました。
『陪審員2番』で主人公を演じるのは、『ザ・メニュー』や『レンフィールド』、ドラマ『THE GREAT エカチェリーナの時々真実の物語』などで活躍の"ニコラス・ホルト"。何かと不憫な役や糞野郎な役にハマる俳優ですが、今回も"ニコラス・ホルト"らしい役柄でした。
共演は、ドラマ『パワー』の"トニ・コレット"、『レッド・ワン』の"J・K・シモンズ"、ドラマ『ナイト・エージェント』の"ガブリエル・バッソ"、『ノット・オーケー!』の"ゾーイ・ドゥイッチ"、『ゼイ・クローン・タイローン/俺たちクローン』の"キーファー・サザーランド"など。
ちなみに本作で被害者女性を演じたのは、"クリント・イーストウッド"の娘である"フランチェスカ・イーストウッド"です。
『陪審員2番』を鑑賞して、"クリント・イーストウッド"による公正さに関する訓示を傾聴しましょう。
『陪審員2番』を観る前のQ&A
✔『陪審員2番』の見どころ
★正しさの価値を真面目に描き切るストーリーテリング。
✔『陪審員2番』の欠点
☆劇場公開されない…。
鑑賞の案内チェック
基本 | 恋人間の暴力を描くシーンがあるほか、無残な遺体を映す描写がわずかにあります。また、アルコール依存症を描いています。 |
キッズ | 3.0 子どもにはシリアスすぎる物語です。 |
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↓ここからネタバレが含まれます↓
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『陪審員2番』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
ジョージア州サバンナにて暮らすジャスティン・ケンプは妻のアリーに子ども部屋をみせていました。可愛らしい小物や壁のデコレーションに囲まれており、アリーは感動しながら気に入ってくれました。暖かい光の差し込む窓の傍にはベビーベッドがあります。
膨らんだお腹を抱えた妻とともに庭にでて、すでに参加者でいっぱいのパーティで挨拶します。もうすぐ新しい命を迎える。その未来にワクワクしていました。
それが終わって、台所で片付けてしていると、陪審員に召集された手紙の話題になります。ジャスティンは陪審員候補に選ばれたのです。単にちょっと裁判に参加するだけだと気楽に笑い合いながら、次の日、ジャスティンは車で家を出発します。
裁判所の前では報道陣が待ち構えており、検察官のフェイスが駐車場の車から歩き出したところでした。ジャスティンは車のドアの下にフェイスの落し物があったのに気づき、拾って渡します。
その後にジャスティンは裁判所のある部屋に行き、他の人と一緒に裁判所からの説明ビデオを見ることになります。
一方、フェイスは張り切っていました。地方検事選挙にでる予定で、今回は有権者に実力をアピールできる最大のチャンスなのです。
各陪審員候補からジャスティンは陪審員2番として振り分けられます。
そして別の日、いよいよ裁判が開始。今回裁定されるのは、ケンダル・カーターの死に関する事件です。カーターは1年前に地元のバーにて恋人のジェームズ・サイスと喧嘩し、その後、橋の下で遺体で発見されました。サイスはカーターの殺人罪で起訴されることになりました。
目撃者によれば、その事件の夜、サイスは酒に酔って騒いでいたそうで、恋人のカーターに暴力的だったとのこと。カーターが怒ってバーを出て行った後、サイスが彼女を追いかけたと証言がなされます。
話を聞いていたジャスティンはすぐにある記憶が蘇ります。自分もその日の夜のバーにいたことに…。そして真っ暗闇を車で走っているときに、バーの近くの橋あたりで何かを轢いたことも…。あのときは車を降りて確認しましたが何も見つけられず、きっと鹿に違いないと考えてそのまま無視してしまいました。
まさか…カーターを殺したのは自分なのではないか…。轢き殺したのでは…。
今、自分の目の前で法廷に立っているこの容疑者の男は無実であり、本当に有罪なのは自分だ…。陪審席に座りながらも頭は大混乱です。
そんな容疑者が有罪か無罪かをジャスティンは決めなくてはいけなくなり…。
この『陪審員2番』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/12/21に更新されています。
善良さに委ねる社会のシステムは機能しない
ここから『陪審員2番』のネタバレありの感想本文です。
『陪審員2番』は起きる展開自体は非常に抑制的で、シンプルな法廷劇ですが、道徳的・倫理的なジレンマを通して「正しさ」に誠実に向き合う真面目な物語でした。
"クリント・イーストウッド"監督の手腕はもう言うまでもないのですけど、今作はオリジナルで脚本を手がけた"ジョナサン・エイブラムス"という人の仕事も評価したいところ。実に良いスクリプトを用意したものです。この人、2024年にロックバンドの「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース」が関与した『The Heart of Rock and Roll』というミュージカル劇を手がけたくらいで他にキャリアは見当たらないのですが、さりげなく急浮上の脚本家になるのではないでしょうか。
『陪審員2番』は法廷劇として淡々と始まりますが、序盤で一気にサスペンスの設定を全部明かします。陪審員に真の犯人がいる…。逆にこれ以上のサプライズはありません。徐々に明かされるミステリーなどではなく、次から次へと予想外の展開が起きるという技も駆使しません。後は100分以上ひたすらに葛藤させるだけです。
この主人公のジャスティンがまた絶妙な人柄で、序盤は本当に「善良な人」という感じの佇まいです。妻に献身的ですし、見ず知らずの他人の落し物も拾い、常に律儀です。絵に描いたような模範的人物像と言えます。
でも例のケンダル・カーター死亡事件の過去が明らかになると一転します。ここでジャスティンの人としての、何というか、姑息とも言える面がこぼれ出るわけです。どんなに善良であろうとも人間の内側には存在するジレンマゆえの決断の留保…みたいなものが…。
当初のジャスティンは、自分のせいで無実の人が有罪になるのは良心が苦しいのでジェームズ・サイスについては無罪にしようと考えつつ、でも自分自身に疑いが向けられないようにもしようという、非常にご都合的な結果を求めます。「私がやりました」と自白する気はなく、うやむやを狙っているんですね。
しかし、すぐにそれは無理だと悟ります。するとサイスを有罪にするほうへと方向を変えて画策しだします。といってもできることが限られ、陪審員同士の議論の場でなんとなく有罪な雰囲気を作ろうとするくらいでしかできません。その言動が余計に卑怯さを醸し出すのですが…。
つまり、こうなっている時点でこの陪審制度は破綻しています。陪審員の中に真の犯人がいるという想定がないからです。
そもそも今回の裁判は、検察のフェイスも地方検事選挙というキャリアを優先して不誠実な仕事をしてしまっていますし、サイスを弁護する公選弁護人エリックも雑な仕事しかしてません。
だからこその陪審員の出番なわけですが、結構意外なことに今回の陪審員たちは途中までいい仕事をします。元刑事がいたり、医療に詳しい人がいたりで、「あれ、この人たちだけで真犯人に辿り着けるのでは?」と思ってしまうくらいに奮闘します。それゆえにジャスティンが内心ではあたふたしていくのがちょっとユーモアもあるのですけど。
ところが最終的にはサイスの有罪が確定します。選挙みたいに投票でギリギリまで粘るも、(当人たちは知らぬことですが)不正義の結果を下してしまうのです。
要するにこれは社会システムの敗北です。民主主義であろうとも、優秀な人員を揃えても、不正義を招いてしまうことがある。
『陪審員2番』ではそれを陪審制度という司法の場で風刺した寓話であり、同じようなことは現実社会であちこちで起きていると思います。例えば、品位がないどころか不正や犯罪行為をしでかした人が政治選挙で当選してしまうとか。
この社会で経験することは避けられない、善良さに委ねたシステムの無力さを突きつける物語でした。
ラストの意味
しかし、『陪審員2番』はエンディングでひっくり返します。今まで淡々と無力さを噛みしめさせられた中、最後の最後で仕掛けてきます。おそらくこのラストこそこの映画の真骨頂なのでしょう。
サイスを有罪にして陪審員を終えたジャスティン。薄々はジャスティンが怪しいと気付き始めたフェイスと対峙するも、「結果は結果なんだからこれを受け止めるしかない」的な発言をして、事実上、共犯のように言いくるめようとします。ここでもズルいです。墓参りとかしてますが、「家族を守る」を言い訳にし続けています。
しかし、無事に赤ちゃんが出産できて暖かい家庭を築いていたジャスティンの家の玄関の前に現れたのは、神妙な表情のフェイスでした。ここで映画は終わります。
曖昧なラストですが、同時に避けようのない解釈を匂わすラストでもありました。地方検事に選出されたフェイスが庶民であるジャスティンのところに無駄話をしに来たり、単純な聞き込みをしに来るわけがありません。普通に考えればあのケンダル・カーター事件絡みです。逮捕しに来たのか、自首を促しに来たのか、それはわかりません。でもフェイスは黙殺しないことにしたようです。彼女のほうが先に善良な正義を果たそうと決意したのでしょうか…。
よくよく考えると今回の事件は真実が観客に提示されません。
ジャスティンが結局犯人なのかもわかりません。本人はアルコール依存症だった過去があり、あの夜は酒を飲んでいないと主張していましたが、妻の前でのその弁解はあからさまに動揺していました。嘘なのか、本当に記憶が無いのか…。
サイスが本当に殺害した可能性だってあります。彼の無実を証明するものもないです。もしかしたら、サイスが被害者を殴って意識不明で路上に放置し、その後にジャスティンが轢いたのかもしれません。そうなると複雑な加害事件です。
真実を明らかにする手段はひとつだけ。ちゃんと捜査することです。ここからが本当のドラマの始まりです。簡単な捜査にはならないです。難航するでしょう。でもやらないといけない。なぜならそれが正義の果たすべき義務だから。そしてそれをジャッジする陪審員もまた選ばれるでしょう。次は正義を下せるでしょうか?
『陪審員2番』は「正しさからは逃げられない」という揺るぎない姿勢をみせるラストでした。この「正しさ」を絶対に切り捨てない信念というのは、"クリント・イーストウッド"が監督作で一貫して描き続けたことだったと思います。
今作はとくに英雄像の型にハマらない凡庸な人物だけで成り立たせているのが良かったです。
社会のシステムが機能しないからといって、正しさの価値まで損なわれるわけじゃない。むしろだからこそ正しさは問われるのだ、と。そして誰でも正しくあることはできるだろう、と。
安直に「正しさ」を冷笑していい気分に浸る輩ばかりになってしまった今の世の中、そんな愚か者には絶対になるなよと言っているような映画でした。
『陪審員2番』
シネマンドレイクの個人的評価
8.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
クリント・イーストウッド監督作の感想記事です。
・『リチャード・ジュエル』
作品ポスター・画像 (C)Warner Bros. Pictures ジュア2
以上、『陪審員2番』の感想でした。
Juror #2 (2024) [Japanese Review] 『陪審員2番』考察・評価レビュー
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