2024年11月15日金曜日

『L.A.コンフィデンシャル』 全ネタバレで脚本中心に考察! | シネマの万華鏡

『L.A.コンフィデンシャル』 全ネタバレで脚本中心に考察! | シネマの万華鏡

『L.A.コンフィデンシャル』 全ネタバレで脚本中心に考察!

今日の映画は懐かしの『L.A.コンフィデンシャル』。

この間読んだ『アカデミー賞を獲る脚本術』で上手い脚本の例の1つに挙げられていて、ポイントを確認しながら観直したくなったのでピックアップしてみました。

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アカデミー賞を獲る脚本術

この本に「脚本が優れた作品」として挙げられていた作品は他にもたくさんありますが、スピルバーグが『マイノリティ・リポート』(2002年)公開当時のインタビューの中で、

「『メメント』を観ると「うん、クリストファー・ノーランって監督は凄い」って思う。でも、そのあとすぐたまたま『L.A.コンフィデンシャル』をテレビで見ると、「こんな凄い映画だったなんて、すっかり忘れてたな。『メメント』より上だよ」って思ってしまう」

と言っていたのを最近読んで(『CUT』2002年12月号)、気になっていたんです。リンダ・シーガーとスピルバーグが推しているのだから、これはもはや「ミレニアム頃のハリウッドで最も業界人に評判の良かった作品の1つ」と言えるんじゃないでしょうか。

タイミング良くAmazon Primeで配信されているのもラッキーでした。

作品概要(ネタバレ)

縄張り争いが激化する'50年代のロス。街のコーヒーショップで元刑事を含む6人の男女が惨殺される事件が発生した。殺された刑事の相棒だった バド(ラッセル・クロウ)が捜査を開始。殺された女と一緒にいたブロンド美人リン(キム・ベイシンガー)に接近する。彼女はスターに似た女を集めた高級娼婦組織の一員。同じ頃、その組織をベテラン刑事のジャック(ケビン・スペイシー)が追っていた。野心家の若手刑事エド(ガイ・ピアース)も事件を追い、容疑者を射殺。事件は解決したかに見えたが……。

(allcinema ONLINEより引用) 

ジェイムズ・エルロイの『L.A.四部作』(1990年)の第3部を映画化したもの。監督・脚本はカーティス・ハンソンです。

主要登場人物は3人、叩き上げの刑事で粗暴だけれど自分なりの正義感を持ったバド(ラッセウ・クロウ)と、エリートで出世にこだわっているものの、正義感は絶対に曲げないエド(ガイ・ピアース)、ゴシップ誌に捜査情報を流して小遣い稼ぎをしているジャック(ケヴィン・スペイシー)。それぞれにアクが強い3人が、猛烈に反発しあいながらも、最後は真相解明という1つの目的に向かって結束していく姿が、50年代のロスを背景に描かれていきます。

リンダ・シーガーの視点から見た『L.A.コンフィデンシャル』の脚本

まずは『アカデミー賞を獲る脚本術』の著者リンダ・シーガーの視点から見た本作の脚本のポイントからいきましょうか。

この本では脚本を書く上でのさまざまなポイントを挙げ、その複数の箇所で『L.A.コンフィデンンシャル』の名前が挙がっているんですが、中でも『脚本のひねり』というポイントで本作に多くの紙面が割かれています。

リンダ・シーガーの言う「ひねり」とは、「それまで予測していたことが実は違っていたと突然分かる瞬間」。本作の場合には、ロス市警の大物刑事で主人公たちの上司にあたるダドリー・スミスが実は事件の黒幕だったことが分かる場面がこれにあたります。

本作を観たことがある人なら、おそらく誰もがそのシーンを鮮明に覚えているんじゃないでしょうか?そのくらい、衝撃的なシーンですよね。

なんせ主要登場人物であるジャックが上司であるダドリーの自宅を訪ね、突然ダドリーに撃たれるんですから。それも、ごく穏やかに会話している最中にダドリーがふとお茶を入れに席を立ち、そこから一転、振り向いたダドリーがいきなりジャックを撃ち殺すという豹変劇。ジャックにとってだけでなく、観客にとっても度肝を抜く不意打ちです。

しかし、ダドリー・スミスが闇社会と通じている人間だということがここに来るまで全く分からないかというと、そうじゃないんですよね。

初登場シーンから、すでに彼はかすかな違和感を纏っている。その違和感のスイッチを入れるのがこの台詞。

どうしても刑事部に異動したいと言いだしたエドを、「君には刑事は向いていない」と諫めた後、ダドリーは、

起訴を確実にするために証拠を捏造できるか?

自白をとるために容疑者を殴れるか?

更正の望みのない犯罪者を後ろから撃ち殺せるか?

と尋ねます。そういうヨゴレ仕事ができなければ現場は向かないと言うんです。勿論正義感の強いエドが「ノー」と答えることを見越した上の言葉でしょう。

証拠捏造?

暴力で自白強要?

容疑者を撃ち殺す・・・?

違法もいいところです。いくら何でも上司が部下に言う言葉じゃないし、何故そんな言い方までしてダドリーはエドを刑事部に異動させたくなかったのかも、不思議。しかし、ここが本作の巧みさ。ここで浮き出してきた疑問符がそのまま上に書いた「ひねり」シーンの伏線になっている上、殊に「更正の望みのない犯罪者を後ろから撃ち殺せるか?」というダドリーからエドへの質問は、クライマックスのエドがダドリーを後ろから撃ち殺すシーンで彼からダドリーへのファイナルアンサーが示されるという鮮やかな伏線回収。

最後まで見終わった観客は、物語が始まったばかりの時点でこれだけの伏線が撒かれていたことに初めて気づかされ、舌を巻く・・・というわけです。お見事!

「ひねり」は勿論予想外でなければなりませんが、かといってそれまで全く兆候がなく、唐突すぎても面白くない。リンダ・シーガーはそう書いています。

思うに、「カンのいい人なら予想できたはずなのに」と観客が悔しがるくらいの「かすかな兆候」が仕込まれているのがベストなんじゃないでしょうか。

その点、『L.A.コンフィデンシャル』の匙加減はパーフェクトに思えます。

黒幕ダドリー・スミスを演じているジェームズ・クロムウェルの、いかにも人格者らしい風貌がまた心憎い。初登場シーンからダドリーのダークな一面はチラチラ匂うのですが、一方で彼の柔らかい風貌がそれを否定し続けるという。この拮抗が絶妙のバランスなんです。(でも、分かっちゃうんですけどね)

いよいよダドリーの正体が明らかになる瞬間が、ダドリーの自宅の台所という、物凄く日常的な場所で訪れるのも最高!

スミス家の家族構成は、男はダドリーだけで後は妻と娘4人。そんな女系家族らしいフェミニンでつつましやかなカーテンやテーブルが目を引きます。ダドリーの平穏無事の生活が目に浮かぶよう・・・「幸福」「堅実」「安定」のイメージが充満した光景の中で引き起こされる凶事に、さまざまな思いが駆け巡ります。

こうして観ると実に完成度の高い作品です。

ガイ・ピアースの眼鏡の意味

『アカデミー賞を獲る脚本術』の中でリンダ・シーガーはメタファーを重視していますが、本作にも効果的なメタファーが。

やはりダドリー初登場の場面で、どうしても刑事部に異動したいと言うエドを説得しようとしたにもかかわらず、聞き入れないエドに、

「せめて眼鏡ははずせ。刑事部には眼鏡をかけたヤツは1人もいない」

とダドリーが言うんですが、これも、観終わってみて考えると、実は深い意味があったんだなと。
エドを演じているガイ・ピアース、面長で眼鏡が似合うんですよね。刑事部の主流である叩き上げの刑事たちと違って大卒のエドのエリートっぽさを引き立てる小道具でもあります。

ただ、それだけじゃない。

エドの「眼鏡」は「真実を見極めようとする心」のメタファー。他の刑事部の人間は皆、泥臭い仕事のやり方(それもかなり違法)に慣れきっていて、あるべき警察の姿を追求しようとはしなかった。ダドリーは、しがらみにとらわれず、とことん正義を追求しようとするエドが刑事部に入り、自分の悪事に気づかれることを恐れていたんです。だから、反対した。

ダドリーが黒幕だったことを知って初めて、「眼鏡をはずせ」が「目をつぶることを覚えろ」という意味だったことが見えてきます。

こういう時間差で効いてくるメタファー、たまりません。 

ハリウッドのお膝元・ロスならではの光と闇

脚本という視点で見てもう1つ印象的だったのは、オープニング。時代背景を語るモノローグとともに映し出されるタイプライターを打つ男の姿。軽快なタイプ音が、夢の土地ロスを語る歌うような語り口とともに、心地よく響きわたります。

タイプしている男は物語の外側にいる狂言回しなのかと思いきや、劇中に登場するゴシップ誌の記者シド。

何故刑事ものにゴシップ誌の記者が関係してくるかと言えば、ケヴィン・スペイシー演じる刑事ジャック・ヴィンセンスがゴシップ誌に捜査情報を流しているから。時には派手なゴシップをでっち上げるために、芸能人をハメるようなこともする。有名人だけに逮捕の瞬間を撮れば売れ行きは青天井。警察官もしっかり抱き込まれているわけです。

ジャックはまた、人気刑事ドラマのアドバイザーも。業界人に近づき、麻薬に手を出す芸能人の情報を得るのにも役に立つんでしょうか。

この辺り、いかにもハリウッドのお膝元ロサンゼルスならではのエピソード。芸能界は物語には間接的にしか絡んで来ないんですが、ロスに不可欠な要素であることはたしか。芸能界を絡めることで男くさい物語に華やぎが加わります。そして、闇社会と芸能界との暗いつながりが物語を一層ダークに。ロスという街の陰影が一層濃い色合いを帯びてくるんですよね。

記者が打つタイプライターのタイプ音もリズミカルでイイ。

こういう部分も脚本の巧みな設定が土台にあってこそなんでしょうね。

ラストシーンが暗示する「正義」への問いかけ

ジャックの死を契機に加速していく終盤、エドとバズがついに手を取り合い、ダドリーを追い詰めます。ところが、2人ともイーブンに活躍したはずなのに、エドは英雄に、バズはリンを連れてロスを去ることに・・・

昇進とキム・ベイシンガーとどっちを取るかって言われたら、断然キム!!

という男性陣には、十分フェアな結末かもしれませんが、純粋に仕事に対する評価という意味ではアンフェア。一見、ちゃっかり者が得をする結末ですからね。

ただ、バズとエドの「正義」の捉え方の違いを思い出してみると、この結末はとても順当です。

エドは仲間のしがらみにとらわれず、違法なことは違法として断固妥協しなかった。一方、バズは、危険な状況とは言え、無抵抗な黒人容疑者を撃ち殺し、さも正当防衛だったように現場を偽装したりしてる。そして彼はそれを「正義のため」と呼ぶ。果たしてそうか?

最終的に警察に残ったのは、法を遵守し、捜査に過ちがあれば正そうとする人間=エドだった。

そこに、本作なりの「正義」のカタチが込められているように思えます。

今では不可能な描写

製作は1997年、かれこれ四半世紀前の作品ですから、今とは差別や偏見の描き方にも差があります。脚本の巧みさもさることながら、今観るとそこがとても印象に残りました。

本作の中では警察官のバド・ホワイトとエド・エクスリーによる黒人殺害が描かれています。

殺害された黒人たちは現に犯罪者。ただ、警察のやり方には非常に問題があった。

勿論、この作品は決して警察のやり方を是としているわけじゃありません。清濁併せ呑む顛末、決して綺麗事だけで終わらないところに深い味わいがあるドラマだけに、差別についても50年代当時のあるがままを描いているんです。

ただ、警察官による黒人殺しが頻発して大問題になっているアメリカでは、たとえ50年代の話でも、今ではこういう描写はNGだろうなと。

本作はアカデミー賞に9部門でノミネートされ、作品賞の最有力候補と見られていたにもかかわらず、蓋を開けてみると作品賞は『タイタニック』に、受賞は助演女優賞と脚色賞だけだったそう。

作品賞を獲れなかった理由があるとしたら、差別の描写に批判性が薄かったせいかもしれないな・・・と2020年の今眺めるとそんなふうに感じてしまうんですが、1998年当時はそのあたりどう見られていたんでしょうか。

まあそのあたりはともかくとして、これは納得の名脚本でした。傑作です。

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