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荘子
講談社
斉物論 第二
かくして、私は真の主宰者を、いわゆる道の中に求めることにしたいと思う。そもそも言葉というものは、あの人籟や地籟の吹き出す音声とは異なって、言う人がいて彼が言葉を言うという現象である。ところが、同じ言葉でもって言う対象が人によってまちまちであるために、全然一定していないとするならば、果たして人間の言葉が存在しているのだろうか。それとも全然存在していないのだろうか。それは雛鳥の鳴き声とは違うと考えられているが、やはり違うのだろうか、それとも違わないのだろうか。 思想界においては、真の道が何かに隠されたためにその真偽の対立が生まれているが、何に隠されたのだろうか。道を内容とする真の言葉が何かに隠されたためにその是非の論争が生まれているが、何に隠されたのだろうか。真の道は、本来どこへ行っても存在するはずだし、真の言葉は、どこに存在しても可いはずだ。察するに、真の道は小さく成就された道の蔭に隠され、真の言葉は浮ついた華々しい言葉の蔭に隠されてしまったのである。 そのために、儒家と墨家の是非の論争が生まれている。彼らは、自学派の是非で他学派の非とするものを是とし、他学派の是とするものを非として、論争を続けている。彼らの非とするものを是とし、彼らの是とするものを非として、全てひっくり返そうと思うならば、それには明知を用いるのが最上である。 是と非という価値を撥無すると、そこには価値なき世界、彼と是の区別だけを認める事実の世界が切り開かれる。あらゆる物は彼と呼びうるし、あらゆる物はまた是とも呼びうる。彼の立場からは見えない物であっても、その物自身の立場に立てば知ることができて、それは是と呼ばれる。したがって、両者の関係は、『彼という判断は是が存在することから発生し、是という判断も彼があることに因って存在する。』となる。彼是方びに生ずるの説(彼と是が相互に規定しあって同時に発生するという学説)である。しかしながら、この学説に従うならば、生があると同時に死があり、死があると同時に生があり、また可があると同時に不可があり、不可があると同時に可があり、さらに是があるのに因って非があり、非があるのに因って是がある、というように、再び是非の論争に戻ってしまうであろう。こういうわけで、理想的人物たる聖人は、この学説に従わず、これを天(物それ自体)の明るみに照らし出す。なぜなら、これもまた、これを正しいと認める自己の内なる是に因って打ち出した学説だからである。 さらに、主観の立場の取り方によって、是という判断はまた彼という判断でもあり、逆に彼はまた是でもある。その上、彼の儒家と墨家も一つの是非であるが、此の彼是方びに生ずるの説も一つの是非なのである。相互規定的な事実関係としての彼と是は、果たして一体存在するのであろうか。果たして一体存在しないのであろうか。ここに、彼という判断と是という判断がペアーを組まず、彼は彼として是は是として、個別的に存在すると見る学説が生まれる。この学説は道枢と呼ばれている。だが、道枢を抱いてありとあらゆる判断の環の真っただ中にポジションを占めるにしても、私は無限の個別的な判断に応じなければならない。是の価値判断も無限の一つであり、非の価値判断も無限の一つである。したがって、この道枢学説に対処するにも、『明知を用いるのが最上。』なのだ。
以上の道枢学説の根拠は矛盾律であるが、それを批判的に検討しよう。
さて、指という物に自己の立場を取って、指が指でないことを証明するのは、指でない物の一つに自己の立場を取って、指が指でないことを証明するのに及ばない。馬という物に自己の立場を取って、馬が馬でないことを証明するのは、馬でない物の一つに自己の立場を取って、馬が馬でないことを証明するのに及ばない。こうして、指が指でないことの正しさが証明され、馬が馬でないことの正しさが証明された結果、天地という全体世界は一つの指であり、万物という全体世界は一つの馬である、という万物斉同に達するのである。
そもそも道路というものが、人間がそこを通ることによって道路となるように、個々の物という存在も、人間が然であると謂うことによって判断された然の事実となる。それでは一体、主観は何を然であると謂うのであろうか。然と思うものを然と謂うのである。何を不然と謂うのであろうか。不然と思うものを不然と謂うのだ。何を可と謂うのであろうか。可と思うものを可と謂う。何を不可と謂うのであろうか。不可と思うものを不可と謂う。そうだとすれば、個別的な物の中には本来然と認められる性質が具わっており、本来可と認められる性質が具わっていることになる。のみならず、いかなる物も然でないものはなく、いかなる物も可でないものはないのだ。
原 文 夫言非吹也、言者有言。其言者、特未定也、果有言邪、其未嘗有言邪。其以爲異於鷇音、亦有辯乎、其無辯乎。 惡乎隱而有眞僞、言惡乎隱而有是非。惡乎往而不存、言惡乎存而不可。隱於小、言隱於榮華。 故有儒墨之是非、以是其非、而非其是。欲是其非、而非其是、則莫若以明。 物無非彼、物無非是。自彼則不見、自知則知之。故曰、彼出於是、是亦因彼。彼是方生之也。雖然、方生方死、方死方生、方可方不可、方不可方可、因是因非、因非因是。是以人不由、而照之于天。亦因是也。 是亦彼也、彼亦是也。彼亦一是非、此亦一是非。果且有彼是乎哉、果且無彼是乎哉。彼是莫得其偶、謂之樞。樞始得其中、以應無窮。是亦一無窮、非亦一無窮也。故曰、莫若以明。
以指喩指之非指、不若以非指喩指之非指也。以馬喩馬之非馬、不若以非馬喩馬之非馬也。天地一指也、萬物一馬也。
行之而、物謂之而然。惡乎然、然於然。惡乎不然、不然於不然。〔惡乎可、可乎可。惡乎不可、不可乎不可。〕物固有然、物固有可。無物不然、無物不可。
こういうわけで、小さな草の茎と大きな屋柱の相異、ハンセン氏病患者と美人の西施の相異などを含めて、訝しくも不思議にも、道は全てを通じて斉同(一つ)にしている。物が分解するとは成立することであり、成立するとは毀壊することである。一切の万物には成立も毀壊もないが、真宰たる道こそが全てを通じて斉同にしているのである。 道が万物を通じて斉同にしていることを知っているのは、ただ道に到達した者だけである。彼はそれ故に、この万物斉同の思想をも用いず、この思想を世界のあるがままの姿の中に放り出す。世界があるがままにあることは、この思想を真に用いていることであり、この思想を用いていることは、彼が世界の万物に通じていることであり、万物に通じていることは、その真実態を把えていることである。このように、万物斉同を無意識の内に把えるならば、それでもう完全だ。何となれば、万物斉同の思想も、これを正しいとする内なる是に因って構築したものだからである。実際に万物斉同を把えていながら、そのことに無意識である状態、これをしも道と謂うのだ。 精神を働かせて世界が斉同であると考えても、実際には斉同を理解できていないことを朝三と謂う。朝三とはどういうことか。──『ある狙使いの親方が芧の実を与えようとして、〝朝は三つで暮は四つにするぞ。〟これを聞いて、狙たちはみな怒った。狙使いの親方、〝それでは、朝は四つで暮は三つにしよう。〟すると、狙たちはみな喜んだ。』合計七つという約束の名にも、与えられた実にも、欠けた点はなかったにもかかわらず、喜怒の感情が作用してしまった。それは、狙たちが朝四つ暮三つが是だとする、目先の価値判断に因ったからである。そこで聖人は、この万物斉同の思想にも含まれる是と非を融和して、天鈞(自然の均斉化作用)の中に休息する。このことを、この思想を撥無した聖人と、それにより定立された斉同の世界の両者をともに生かすこと、と謂うのである。 原 文 故爲是擧莛與楹、厲與西施、恢怪、爲一。其分也也、其也毀也。凡物無與毀、復爲一。 唯者知爲一、爲是不用、而寓諸庸。庸也者用也、用也者也、也者得也。得而幾矣。因是已。已而不知其然、謂之。 勞神明爲一、而不知其同也、謂之三。何謂三。曰、狙公賦芧曰、三而莫四。衆狙皆怒。曰、然則四而莫三。衆狙皆。名實未虧、而喜怒爲用。亦因是也。是以人和之以是非、而休乎天鈞。是之謂兩行。 ここで、今まで進めてきた思索の中間的総括をしておこう。上古の人は、知がある究境に到達していた。その到達していた境地とは、根源において、物は存在しないと考える境地である。それは究境に達しており、あらん限りを尽くしていて、最早何も追加することのできない、最高ランクの知である。 次のランクは、物は存在するけれども、根源において、封(彼と是の区別)は存在しないと考える知である。 さらに次のランクは、封(彼是の事実)は存在するけれども、根源において、是非(価値の区別)は存在しないと考える知である。 一層下って、是非の価値が姿を彰かに現すと、それは道が虧なわれる原因となった。これは最早知と認めることのできないものである。 最後に、この道が虧なわれる是非がそのまま原因となって、自己の小成や栄華への愛好などの感情が形成されたのである。そして、今まで進めてきた思索とは、最後の感情判断の批判から出発して、最高ランクの知に向かっていく、段階的な前進のプロセスであった。 原 文 古之人、其知有至矣。惡乎至。有以爲未始有物者。至矣、盡矣。不可以加矣。 其以爲有物矣、而未始有封也。 其以爲有封焉、而未始有是非也。 是非之彰也、之以虧也。 之以虧、愛之以。 上述した中間的総括を逆に遡行して、『道を成し遂げ、愛を虧なう』ことは果たしてできるのであろうか、それとも本当にはできないのであろうか。 確かに『道を成し遂げ、愛を虧なう』ことはできる、だからこそ、昭氏(昭文、古代の琴の名手)は琴を演奏したのだ。『道を成し遂げ、愛を虧なう』ことができなければ、昭氏は琴を演奏しなかったはずである。昭文の琴の演奏と、師曠(春秋時代の晋の楽官長)の琴柱を立てて行う音の調節と、恵子(戦国時代の名家の思想家)の梧桐の脇息にもたれて行う辯論の場合、三先生の知はもう完全だ。いずれも道を成し遂げた人たちである。それで、彼らの道の成就は後世にまで書き伝えられたのである。 ただ彼らは、自己の道を愛好したばかりに、あの真の道から遠ざかってしまった。彼らがこれを愛好するに至ったのは、その道を正しいものとして明らかにしたいと欲したからである。あの道は明らかにすべきものではないのに、明らかにしようとした。だから、彼らは意に反して堅白論(堅さと白さの概念分析)の暗闇に陥って終わったし、恵子の子供たちも昭文レベルで終わってしまい、結局のところ一生かけても道を成就することはできなかったのである。このようなものを、道の成就と謂ってよいとすれば、私でもすでに成就している。このようなものは、道の成就と謂うわけにはいくまい、とすれば、私も他の人々も道を成就することはできないのだ。 こういう次第で、正しいとして明らかにすることの撥無を通じた、乱れた疑わしさの彼方に現れる光耀こそが、聖人の目指すものである。そのために、聖人は、道を成就しうるとする三先生の知をも用いず、この知を世界のあるがままの姿の中に放り出す。これこそが今まで述べてきた、明知を用いることの真の内容なのである。 原 文
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