2024幎11月6日氎曜日

堀 最之 (𝗝𝘂𝗻𝗷𝗶 𝗛𝗢𝗥𝗜)さんによるXでのポスト ゎダヌル しなり



 
 
堀 最之 (𝗝𝘂𝗻𝗷𝗶 𝗛𝗢𝗥𝗜)
⁦‪@soignetongauche‬⁩
ゎダヌル『Scénarios』の本篇画像の枚に出兞を蚘入しおみた。所狭しずモンタヌゞュされおいる14枚の画像は、『映画史』(1988–98)の頃から繰り返し䜿われ、ゎダヌルの想像力のいわば「叀局」を圢䜜っおいるもの(灰色で蚘茉)ず、『むメヌゞの本』(2018)以降の新しい画像(癜色で蚘茉)に倧別できる。 pic.x.com/8T3Fd6y3UT
 
2024/10/08 18:27
 
 

荘子
講談瀟

斉物論 第二

原 文  非圌無我、非我無取。是亊矣、而䞍知其爲䜿。若有眞宰、而特䞍埗其。可行已信、而䞍芋其圢。有而無圢。  癟骞九竅六藏、而存焉。吟誰與爲芪、汝皆之乎。其有私焉。劂是皆有爲臣功乎、其臣功䞍足以盞治乎。其遞盞爲君臣乎、其有眞君存焉。劂求埗其與䞍埗、無損乎其眞。  䞀受其圢、䞍以埅盡。與物盞盞靡、其行盡劂銳、而莫之胜止。䞍亊悲乎。身圹圹、而䞍芋其功。然疲圹、而䞍知其歞。可䞍哀邪。人謂之䞍死、奚。其圢、其心與之然。可䞍謂倧哀乎。人之生也、固若是芒乎。其我獚芒、而人亊有䞍芒者乎。  倫隚其心而垫之、誰獚䞔無垫乎。奚必知代而心自取者有之。愚者與有焉。未乎心而有是非、是今日越而昔至也。是以無有爲有。無有爲有、雖有神犹、䞔䞍胜知。吟獚䞔奈䜕哉。

  かくしお、私は真の䞻宰者を、いわゆる道の䞭に求めるこずにしたいず思う。そもそも蚀葉ずいうものは、あの人籟や地籟の吹き出す音声ずは異なっお、蚀う人がいお圌が蚀葉を蚀うずいう珟象である。ずころが、同じ蚀葉でもっお蚀う察象が人によっおたちたちであるために、党然䞀定しおいないずするならば、果たしお人間の蚀葉が存圚しおいるのだろうか。それずも党然存圚しおいないのだろうか。それは雛鳥の鳎き声ずは違うず考えられおいるが、やはり違うのだろうか、それずも違わないのだろうか。  思想界においおは、真の道が䜕かに隠されたためにその真停の察立が生たれおいるが、䜕に隠されたのだろうか。道を内容ずする真の蚀葉が䜕かに隠されたためにその是非の論争が生たれおいるが、䜕に隠されたのだろうか。真の道は、本来どこぞ行っおも存圚するはずだし、真の蚀葉は、どこに存圚しおも可いはずだ。察するに、真の道は小さく成就された道の蔭に隠され、真の蚀葉は浮぀いた華々しい蚀葉の蔭に隠されおしたったのである。  そのために、儒家ず墚家の是非の論争が生たれおいる。圌らは、自孊掟の是非で他孊掟の非ずするものを是ずし、他孊掟の是ずするものを非ずしお、論争を続けおいる。圌らの非ずするものを是ずし、圌らの是ずするものを非ずしお、党おひっくり返そうず思うならば、それには明知を甚いるのが最䞊である。  是ず非ずいう䟡倀を撥無するず、そこには䟡倀なき䞖界、圌ず是の区別だけを認める事実の䞖界が切り開かれる。あらゆる物は圌ず呌びうるし、あらゆる物はたた是ずも呌びうる。圌の立堎からは芋えない物であっおも、その物自身の立堎に立おば知るこずができお、それは是ず呌ばれる。したがっお、䞡者の関係は、『圌ずいう刀断は是が存圚するこずから発生し、是ずいう刀断も圌があるこずに因っお存圚する。』ずなる。圌是方びに生ずるの説(圌ず是が盞互に芏定しあっお同時に発生するずいう孊説)である。しかしながら、この孊説に埓うならば、生があるず同時に死があり、死があるず同時に生があり、たた可があるず同時に䞍可があり、䞍可があるず同時に可があり、さらに是があるのに因っお非があり、非があるのに因っお是がある、ずいうように、再び是非の論争に戻っおしたうであろう。こういうわけで、理想的人物たる聖人は、この孊説に埓わず、これを倩(物それ自䜓)の明るみに照らし出す。なぜなら、これもたた、これを正しいず認める自己の内なる是に因っお打ち出した孊説だからである。  さらに、䞻芳の立堎の取り方によっお、是ずいう刀断はたた圌ずいう刀断でもあり、逆に圌はたた是でもある。その䞊、圌の儒家ず墚家も䞀぀の是非であるが、歀の圌是方びに生ずるの説も䞀぀の是非なのである。盞互芏定的な事実関係ずしおの圌ず是は、果たしお䞀䜓存圚するのであろうか。果たしお䞀䜓存圚しないのであろうか。ここに、圌ずいう刀断ず是ずいう刀断がペアヌを組たず、圌は圌ずしお是は是ずしお、個別的に存圚するず芋る孊説が生たれる。この孊説は道枢ず呌ばれおいる。だが、道枢を抱いおありずあらゆる刀断の環の真っただ䞭にポゞションを占めるにしおも、私は無限の個別的な刀断に応じなければならない。是の䟡倀刀断も無限の䞀぀であり、非の䟡倀刀断も無限の䞀぀である。したがっお、この道枢孊説に察凊するにも、『明知を甚いるのが最䞊。』なのだ。

  以䞊の道枢孊説の根拠は矛盟埋であるが、それを批刀的に怜蚎しよう。

さお、指ずいう物に自己の立堎を取っお、指が指でないこずを蚌明するのは、指でない物の䞀぀に自己の立堎を取っお、指が指でないこずを蚌明するのに及ばない。銬ずいう物に自己の立堎を取っお、銬が銬でないこずを蚌明するのは、銬でない物の䞀぀に自己の立堎を取っお、銬が銬でないこずを蚌明するのに及ばない。こうしお、指が指でないこずの正しさが蚌明され、銬が銬でないこずの正しさが蚌明された結果、倩地ずいう党䜓䞖界は䞀぀の指であり、䞇物ずいう党䜓䞖界は䞀぀の銬である、ずいう䞇物斉同に達するのである。

  そもそも道路ずいうものが、人間がそこを通るこずによっお道路ずなるように、個々の物ずいう存圚も、人間が然であるず謂うこずによっお刀断された然の事実ずなる。それでは䞀䜓、䞻芳は䜕を然であるず謂うのであろうか。然ず思うものを然ず謂うのである。䜕を䞍然ず謂うのであろうか。䞍然ず思うものを䞍然ず謂うのだ。䜕を可ず謂うのであろうか。可ず思うものを可ず謂う。䜕を䞍可ず謂うのであろうか。䞍可ず思うものを䞍可ず謂う。そうだずすれば、個別的な物の䞭には本来然ず認められる性質が具わっおおり、本来可ず認められる性質が具わっおいるこずになる。のみならず、いかなる物も然でないものはなく、いかなる物も可でないものはないのだ。 

原 文  倫蚀非吹也、蚀者有蚀。其蚀者、特未定也、果有蚀邪、其未嘗有蚀邪。其以爲異斌鷇音、亊有蟯乎、其無蟯乎。  惡乎隱而有眞僞、蚀惡乎隱而有是非。惡乎埀而䞍存、蚀惡乎存而䞍可。隱斌小、蚀隱斌抮華。  故有儒墚之是非、以是其非、而非其是。欲是其非、而非其是、則莫若以明。  物無非圌、物無非是。自圌則䞍芋、自知則知之。故曰、圌出斌是、是亊因圌。圌是方生之也。雖然、方生方死、方死方生、方可方䞍可、方䞍可方可、因是因非、因非因是。是以人䞍由、而照之于倩。亊因是也。  是亊圌也、圌亊是也。圌亊䞀是非、歀亊䞀是非。果䞔有圌是乎哉、果䞔無圌是乎哉。圌是莫埗其偶、謂之暞。暞始埗其䞭、以應無窮。是亊䞀無窮、非亊䞀無窮也。故曰、莫若以明。

  以指喩指之非指、䞍若以非指喩指之非指也。以銬喩銬之非銬、䞍若以非銬喩銬之非銬也。倩地䞀指也、萬物䞀銬也。
  行之而、物謂之而然。惡乎然、然斌然。惡乎䞍然、䞍然斌䞍然。〔惡乎可、可乎可。惡乎䞍可、䞍可乎䞍可。〕物固有然、物固有可。無物䞍然、無物䞍可。  

こういうわけで、小さな草の茎ず倧きな屋柱の盞異、ハンセン氏病患者ず矎人の西斜の盞異などを含めお、蚝しくも䞍思議にも、道は党おを通じお斉同(䞀぀)にしおいる。物が分解するずは成立するこずであり、成立するずは毀壊するこずである。䞀切の䞇物には成立も毀壊もないが、真宰たる道こそが党おを通じお斉同にしおいるのである。  道が䞇物を通じお斉同にしおいるこずを知っおいるのは、ただ道に到達した者だけである。圌はそれ故に、この䞇物斉同の思想をも甚いず、この思想を䞖界のあるがたたの姿の䞭に攟り出す。䞖界があるがたたにあるこずは、この思想を真に甚いおいるこずであり、この思想を甚いおいるこずは、圌が䞖界の䞇物に通じおいるこずであり、䞇物に通じおいるこずは、その真実態を把えおいるこずである。このように、䞇物斉同を無意識の内に把えるならば、それでもう完党だ。䜕ずなれば、䞇物斉同の思想も、これを正しいずする内なる是に因っお構築したものだからである。実際に䞇物斉同を把えおいながら、そのこずに無意識である状態、これをしも道ず謂うのだ。  粟神を働かせお䞖界が斉同であるず考えおも、実際には斉同を理解できおいないこずを朝䞉ず謂う。朝䞉ずはどういうこずか。──『ある狙䜿いの芪方が芧の実を䞎えようずしお、〝朝は䞉぀で暮は四぀にするぞ。〟これを聞いお、狙たちはみな怒った。狙䜿いの芪方、〝それでは、朝は四぀で暮は䞉぀にしよう。〟するず、狙たちはみな喜んだ。』合蚈䞃぀ずいう玄束の名にも、䞎えられた実にも、欠けた点はなかったにもかかわらず、喜怒の感情が䜜甚しおしたった。それは、狙たちが朝四぀暮䞉぀が是だずする、目先の䟡倀刀断に因ったからである。そこで聖人は、この䞇物斉同の思想にも含たれる是ず非を融和しお、倩鈞(自然の均斉化䜜甚)の䞭に䌑息する。このこずを、この思想を撥無した聖人ず、それにより定立された斉同の䞖界の䞡者をずもに生かすこず、ず謂うのである。 原 文  故爲是擧莛與楹、厲與西斜、恢怪、爲䞀。其分也也、其也毀也。凡物無與毀、埩爲䞀。  唯者知爲䞀、爲是䞍甚、而寓諞庞。庞也者甚也、甚也者也、也者埗也。埗而幟矣。因是已。已而䞍知其然、謂之。  勞神明爲䞀、而䞍知其同也、謂之䞉。䜕謂䞉。曰、狙公賊芧曰、䞉而莫四。衆狙皆怒。曰、然則四而莫䞉。衆狙皆。名寊未虧、而喜怒爲甚。亊因是也。是以人和之以是非、而䌑乎倩鈞。是之謂兩行。  ここで、今たで進めおきた思玢の䞭間的総括をしおおこう。䞊叀の人は、知がある究境に到達しおいた。その到達しおいた境地ずは、根源においお、物は存圚しないず考える境地である。それは究境に達しおおり、あらん限りを尜くしおいお、最早䜕も远加するこずのできない、最高ランクの知である。  次のランクは、物は存圚するけれども、根源においお、封(圌ず是の区別)は存圚しないず考える知である。  さらに次のランクは、封(圌是の事実)は存圚するけれども、根源においお、是非(䟡倀の区別)は存圚しないず考える知である。  䞀局䞋っお、是非の䟡倀が姿を地かに珟すず、それは道が虧なわれる原因ずなった。これは最早知ず認めるこずのできないものである。  最埌に、この道が虧なわれる是非がそのたた原因ずなっお、自己の小成や栄華ぞの愛奜などの感情が圢成されたのである。そしお、今たで進めおきた思玢ずは、最埌の感情刀断の批刀から出発しお、最高ランクの知に向かっおいく、段階的な前進のプロセスであった。 原 文  叀之人、其知有至矣。惡乎至。有以爲未始有物者。至矣、盡矣。䞍可以加矣。  其以爲有物矣、而未始有封也。  其以爲有封焉、而未始有是非也。  是非之地也、之以虧也。  之以虧、愛之以。  䞊述した䞭間的総括を逆に遡行しお、『道を成し遂げ、愛を虧なう』こずは果たしおできるのであろうか、それずも本圓にはできないのであろうか。  確かに『道を成し遂げ、愛を虧なう』こずはできる、だからこそ、昭氏(昭文、叀代の琎の名手)は琎を挔奏したのだ。『道を成し遂げ、愛を虧なう』こずができなければ、昭氏は琎を挔奏しなかったはずである。昭文の琎の挔奏ず、åž«æ› (春秋時代の晋の楜官長)の琎柱を立おお行う音の調節ず、恵子(戊囜時代の名家の思想家)の梧桐の脇息にもたれお行う蟯論の堎合、䞉先生の知はもう完党だ。いずれも道を成し遂げた人たちである。それで、圌らの道の成就は埌䞖にたで曞き䌝えられたのである。  ただ圌らは、自己の道を愛奜したばかりに、あの真の道から遠ざかっおしたった。圌らがこれを愛奜するに至ったのは、その道を正しいものずしお明らかにしたいず欲したからである。あの道は明らかにすべきものではないのに、明らかにしようずした。だから、圌らは意に反しお堅癜論(堅さず癜さの抂念分析)の暗闇に陥っお終わったし、恵子の子䟛たちも昭文レベルで終わっおしたい、結局のずころ䞀生かけおも道を成就するこずはできなかったのである。このようなものを、道の成就ず謂っおよいずすれば、私でもすでに成就しおいる。このようなものは、道の成就ず謂うわけにはいくたい、ずすれば、私も他の人々も道を成就するこずはできないのだ。  こういう次第で、正しいずしお明らかにするこずの撥無を通じた、乱れた疑わしさの圌方に珟れる光耀こそが、聖人の目指すものである。そのために、聖人は、道を成就しうるずする䞉先生の知をも甚いず、この知を䞖界のあるがたたの姿の䞭に攟り出す。これこそが今たで述べおきた、明知を甚いるこずの真の内容なのである。 原 文

0 件のコメント:

コメントを投皿

『M-1グランプリ2024』什和ロマンの連芇の理由は挔技力の高さ、髙比良くるたは1人14圹(田蟺ナりキ) - ゚キスパヌト - Yahoo!ニュヌス

『M-1グランプリ2024』什和ロマンの連芇の理由は挔技力の高さ、髙比良くるたは1人14圹(田蟺ナりキ) - ゚キスパヌト - Yahoo!ニュヌス https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8a1a12932f0e976edb010b4e...