ユダヤ神秘主義
1985年
ゲルショム・ショーレム
山下 肇/石丸昭二訳
法政大学出版
#9
464〜5
…もはや理論の何ものも残ってはいない。すべては物語のなかに入ってしまった。したがって、私の所見が、ハシディズムそのものの発展段階についてハッシーディームによって語られるこうした物語でもって結ばれるとしても、あながちダメをおされることもあるまい。ここに掲げる物語は、偉大なヘブライ語作家S・J・アグノン*の口から私が聞いた話である。
バアル=シェームは、何か困難な、人のためにするある種の秘教的な仕事を片づけねばならぬことがあると、いつも森のなかの一定の場所に行って、火をともし、神秘的な瞑想にひたりながら、祈禱を口ずさんだ――すると、すべては彼がもくろんでいた通りのことになった。一世代後のメセリッツのマッギードが同じことをするときにも、森のなかのあの場所に行って、こう言った、「われわれはもう火をともすことはできないが、祈禱をとなえることはできる」すると、すべてが彼の意志の通りになった。さらに一世代後のサッソフのラビ・モーシェ・レイーブも同じことを実行せねばならぬことになった。彼も森のなかに行って、こう言った、「われわれはもう火をともすことはできない。それに祈禱に生命をあたえる秘的な瞑想のことも知らない。しかし、それらすべての属する森のなかの場所をわれわれは知っている。それで十分にちがいない」その通り十分だった。ところで、さらにまた一世代後のリシーンのラビ・イスラエルがあの行為を果たさねばならぬことになったとき、彼は城中の黄金の椅子に坐したままこう言った、「われわれは火をともすことはできぬ。祈禱をとなえることもできぬ。もはやあの場所も知らぬ。しかし、それらについて話をしてきかせることはできる」と。そしてその語り手はつけ加える彼の物語だけは、それ以前の三人の行為と同じ効力をもったのだ、と。
*35.S.J. アグノン Samuel Josef Agnon (1888-1970) ヘブライ語の小説家.ガリチアのプチャッチ生れ、 意識的に古風な文体で東欧ユダヤ人のハシディズムの世界の小さな町々やイスラエルの風土の新旧の生活を描く現代作家で,エルサレムに住み、1966年, ユダヤ系のドイツ・スウェーデン作家ネリー・ザックス女史と共に, ヘブライ語詩人イスラエル国民として初めて、ノーベル文学賞を受けた. 長短篇を含むその全集は12巻, 16ヵ国語に翻訳されている.
37. この逸話の核心は,事実, ラビ Israel von Rischin に関する物語を集めたあるハシディズムの集成 Kenesseth Jisrael [イスラエル共同体] (Warschau 1906, p. 23に見出される.
36. すでに Schibche ha-Bescht (1815), B1.28aのなかでラディカルな表現が書きた
てられている. 「ツァッディーキームの栄光のための物語を語るものは、まるでメルカ
レーバーを相手にする人のようである.」 ブラッラフのナハマンは,ツァッディーキーム
の物語を通して 「救世主の光を世にもたらす」 のだと断言してはばからないほどだった。
彼の Sefer ha-middoth s. v. Zaddik を参照されたい.
(108)
《叢書・ウニベルシタス》
ユダヤ神秘主義
1985年3月30日 初版第1刷発行
ゲルショム・ショーレム
山下 肇/石丸昭二訳
#9
464〜5頁
ンディズム,ユダヤ神秘主義の終局
偉大なツッディーキーム、とりわけ東ガリチアのハシディズム統治者たちの祖リシーンのイスラエルの ような人びとは彼らの生産的な力をこうした物語に傾注した。彼らのトーラーはここではまったく無限に 豊かな語り物のかたちをとった。
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