映画"気狂いピエロ"の細部検証<Part5>
ジャン=リュック・ゴダールのカルト映画「気狂いピエロ」の細部検証、今回は「この映画に登場する本について(全3回)」の最終回をお送りします。それでは早速ですが、今回紹介する本はこちらの場面から。
事物を明確には描かず
空気や黄昏の色で対象を描いた
背景の影や透明感
きらめく色調で感動させた
それが沈黙の交響曲の
目に見えない核だ
もはや彼の世界は
浸食し合うフォルムと
色の不思議な交感だけ
それはどんな障害にも邪魔されず
ひそかに絶え間ない進歩を続ける
空間が息づく
表面を滑る大気の波のように
涌き出したものが事物を形作っていく
そして芳香のように拡散する
エコーさながら
ごく軽い塵となって
四方へ広がっていく
彼は悲しい世界に生きた
堕落した国王
病気の子供たち
宮廷に集められた白痴や小人たち
派手な衣装を着させられた道化師
彼らは宮廷の忌み者で
不道徳な人々を笑わせていた
儀礼や陰謀に締めつけられ
後悔や良心の呵責
波紋や火刑
そして沈黙に縛られていた
ノスタルジーが漂う
醜さも悲しみもない
惨めな子供時代の残酷さもない
ベラスケスは夜の画家であり
広がりと沈黙の画家である
真昼に描こうが密室で描こうが
たとえ戦争や狩りのただなかだろうと
スペインの画家は日中外に出ないので
自然に夜と結びついたのだ

これは映画の冒頭でフェルディナンが朗読していたもので、内容はエリー・フォールによるスペインの宮廷画家ベラスケス(ラス・メニーナスで有名)についての美術論評です。フェルディナンが手にしている本「Histoire de l'art L'art1」に収録されています。
この映画はエリー・フォールの美術論評の朗読に始まり、アルチュール・ランボーの詩(地獄の季節"永遠")に終わります。ラストにランボーを置くことで、エリー・フォールの美術論評を天才詩人の詩と同列に扱ったゴダールの鋭くも危ういバランス感覚は、美術論評を詩のごとく朗読するフェルディナンの知性を強調させ、それが後の破滅とのコントラストを生んでいます。
後半の映画館のシーンでフェルディナンが読んでいるこの本、一見、冒頭の本と同じように見えますが、実は同じシリーズの続編「Histoire de l'art L'art2」に変わっています。余談ですが、このシーンのフェルディナンの前に座る男性はジャン=ピエール・レオで、この映画の助監督、そしてゴダールの次作「男性・女性」で主演を務めました。


日本でも数年前に待望の翻訳版が出版されました。冒頭のベラスケスについて書かれているシリーズのタイトルは「美術史 - 近代美術4/エリー・フォール」で、このような表紙になっています。

続く
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