2025年2月9日日曜日

ショーレムとブーバー ハシディズム及びウィーゼル さらにゴダール The Gates of the Forest: A Novel | Wiesel, Elie | 1995 イスラエル・ベン・エリエゼル ゴダールの決別

 参考:

トーラーの名において

https://rekishi-love-history.blogspot.com/2025/02/1970-abraham-serfaty-emmanuel-levyne.html

ユダヤ教徒の反戦運動


https://x.com/yojisekimoto/status/1908338031599509995?s=61


https://freeassociations2020.blogspot.com/2025/04/tobimono2x.html


https://youtube.com/shorts/HTfCiQms1C0?si=759cUhH99E1S3I48



https://x.com/slow_luminous/status/1908316617362309371?s=61

 
 
tobimono2
⁦‪@tobimono2‬⁩
米国在住のユダヤ教徒、ネタニヤフの訪米に反対の声をあげる。
「ネタニヤフはトーラー(ユダヤ教の教え)の敵だ! 彼が来ると、いつもあたかも全てのユダヤ人を代表しているかのように振る舞う。 彼の目的は我々を戦争や犯罪に巻き込む事だ」 pic.x.com/mrA3Oj1MuP
 
2025/02/04 11:16
 
 

https://x.com/tobimono2/status/1886599664037949814?s=61

 
 
ParsToday Japanese
⁦‪@ParstodayJ‬⁩
✍️視点
イスラエルには #言論の自由 がある!!!

戦争開始後、多くの正統派ユダヤ教徒がイスラエル軍のガザ攻撃に反対し、デモを行いましたが、警察は彼らを激しく暴行した上で排除しています。その映像はSNS上で広く拡散しました。👇
parstoday.ir/ja/news/middle…
#Gaza #Gaza_Genocide pic.x.com/wZw7t9o70M
 
2024/01/07 14:23
 
 

https://x.com/parstodayj/status/1743865797213307047?s=61

 
 
ポポリ🌏⁷ #FreePalestine
⁦‪@kindness_world_‬⁩
”今、テルアビブで!
戦争に反対し、イスラエルとパレスチナの平和を求める最大のデモ。何千人ものユダヤ教徒とパレスチナ人の市民たちが停戦と人質解放、ガザでの殺害を終わらせるよう求めています“
 
2024/01/19 4:43
 
 

https://x.com/kindness_world_/status/1748068613519544383?s=61

 
 
❀ N ✿
⁦‪@8zal‬⁩
#BREAKING

"From #New York to #Jerusalem, we oppose what is happening in Gaza," a Jewish rabbi delivers a speech in central New York denouncing Israel's barbaric war, before being attacked by Zionists, while supporters of Palestine try to protect him. pic.x.com/sDvnvaP6lx
 
2024/11/02 6:59
 
 

https://x.com/8zal/status/1852470559998693743?s=61


#BREAKING


「 #Newニューヨークから#Jerusalemまで、我々はガザで起こっていることに反対する」と、ユダヤ教のラビがニューヨーク中心部でイスラエルの野蛮な戦争を非難する演説を行ったが、パレスチナ支持者たちがラビを守ろうとする中、シオニストらの攻撃を受けた。


ゴダールは決別でアケルマン経由で以下ショーレム本を改変引用

ショーレムに関しては奇妙な戦争のラストに名前が出る


。。。

ヨーンゾン

https://dylan2023bible.blogspot.com/2024/12/wikipedia_10.html


。。。

ユダヤ神秘主義

1985年

ゲルショム・ショーレム

山下 肇/石丸昭二訳

法政大学出版

#9

464〜5


…もはや理論の何ものも残ってはいない。すべては物語のなかに入ってしまった。したがって、私の所見が、ハシディズムそのものの発展段階についてハッシーディームによって語られるこうした物語でもって結ばれるとしても、あながちダメをおされることもあるまい。ここに掲げる物語は、偉大なヘブライ語作家S・J・アグノン*の口から私が聞いた話である。

 バアル=シェームは、何か困難な、人のためにするある種の秘教的な仕事を片づけねばならぬことがあると、いつも森のなかの一定の場所に行って、火をともし、神秘的な瞑想にひたりながら、祈禱を口ずさんだ――すると、すべては彼がもくろんでいた通りのことになった。一世代後のメセリッツのマッギードが同じことをするときにも、森のなかのあの場所に行って、こう言った、「われわれはもう火をともすことはできないが、祈禱をとなえることはできる」すると、すべてが彼の意志の通りになった。さらに一世代後のサッソフのラビ・モーシェ・レイーブも同じことを実行せねばならぬことになった。彼も森のなかに行って、こう言った、「われわれはもう火をともすことはできない。それに祈禱に生命をあたえる秘的な瞑想のことも知らない。しかし、それらすべての属する森のなかの場所をわれわれは知っている。それで十分にちがいない」その通り十分だった。ところで、さらにまた一世代後のリシーンのラビ・イスラエルがあの行為を果たさねばならぬことになったとき、彼は城中の黄金の椅子に坐したままこう言った、「われわれは火をともすことはできぬ。祈禱をとなえることもできぬ。もはやあの場所も知らぬ。しかし、それらについて話をしてきかせることはできる」と。そしてその語り手はつけ加える彼の物語だけは、それ以前の三人の行為と同じ効力をもったのだ、と。


*35.S.J. アグノン Samuel Josef Agnon (1888-1970) ヘブライ語の小説家.ガリチアのプチャッチ生れ、 意識的に古風な文体で東欧ユダヤ人のハシディズムの世界の小さな町々やイスラエルの風土の新旧の生活を描く現代作家で,エルサレムに住み、1966年, ユダヤ系のドイツ・スウェーデン作家ネリー・ザックス女史と共に, ヘブライ語詩人イスラエル国民として初めて、ノーベル文学賞を受けた. 長短篇を含むその全集は12巻, 16ヵ国語に翻訳されている.


37. この逸話の核心は,事実, ラビ Israel von Rischin に関する物語を集めたあるハシディズムの集成 Kenesseth Jisrael [イスラエル共同体] (Warschau 1906, p. 23に見出される.











36. すでに Schibche ha-Bescht (1815), B1.28aのなかでラディカルな表現が書きた

てられている. 「ツァッディーキームの栄光のための物語を語るものは、まるでメルカ

レーバーを相手にする人のようである.」 ブラッラフのナハマンは,ツァッディーキーム

の物語を通して 「救世主の光を世にもたらす」 のだと断言してはばからないほどだった。

彼の Sefer ha-middoth s. v. Zaddik を参照されたい.

(108)


《叢書・ウニベルシタス》

ユダヤ神秘主義

1985年3月30日 初版第1刷発行

ゲルショム・ショーレム

山下 肇/石丸昭二訳

#9

464〜5頁


ンディズム,ユダヤ神秘主義の終局

偉大なツッディーキーム、とりわけ東ガリチアのハシディズム統治者たちの祖リシーンのイスラエルの ような人びとは彼らの生産的な力をこうした物語に傾注した。彼らのトーラーはここではまったく無限に 豊かな語り物のかたちをとった。


 …もはや理論の何ものも残ってはいない。すべては物語のなかに入ってし まった。したがって、私の所見が、ハシディズムそのものの発展段階についてハッシーディームによって 語られるこうした物語でもって結ばれるとしても、あながちダメをおされることもあるまい。ここに掲げ る物語は、偉大なヘブライ語作家S・J・アグノンの口から私が聞いた話である。
  バアル=シェームは、何か困難な、人のためにするある種の秘教的な仕事を片づけねばならぬことがあ ると、いつも森のなかの一定の場所に行って、火をともし、神秘的な瞑想にひたりながら、祈禱を口ずさ んだ――すると、すべては彼がもくろんでいた通りのことになった。 一世代後のメセリッツのマッギード が同じことをするときにも、森のなかのあの場所に行って、こう言った、「われわれはもう火をともすこ とはできないが、祈禱をとなえることはできる」すると、すべてが彼の意志の通りになった。さらに 一世代後のサッソフのラビ・モーシェ・レイーブも同じことを実行せねばならぬことになった。彼も森の なかに行って、こう言った、「われわれはもう火をともすことはできない。それに祈禱に生命をあたえる 秘的な瞑想のことも知らない。しかし、それらすべての属する森のなかの場所をわれわれは知っている。 それで十分にちがいない」その通り十分だった。ところで、さらにまた一世代後のリシーンのラビ・ イスラエルがあの行為を果たさねばならぬことになったとき、彼は城中の黄金の椅子に坐したままこう言 った、「われわれは火をともすことはできぬ。 祈禱をとなえることもできぬ。もはやあの場所も知らぬ。 しかし、それらについて話をしてきかせることはできる」と。そしてその語り手はつけ加える彼 の物語だけは、それ以前の三人の行為と同じ効力をもったのだ、と。 
ンディズム, ユダヤ神秘主義の終局



ーーーーーーー
 Hasidism. 18世紀ポーランド南部に起ったユダヤ教内部の敬虔主義運動。 バール・シェム・トブによって始められた精神運動で,彼は真の宗教は,伝統的なラビ的学問や禁欲的遁世にはなく,すべての存在に内在する神を認識することにあり,ひたすらな祈りによりこの認識が可能になると説いた。

神秘主義とは違うのでショーレムはブーバーに学びつつも批判的

ブーバー1947
Generations  
The rabbi of Rizhyn related: “Once when the holy Baal Shem Tov wanted to save the life of a sick boy he was very much attached to, he ordered a candle made of pure wax, carried it to the woods, fastened it to a tree, and lit it. Then he pronounced a long prayer. The candle burned all night. When morning came, the boy was well. 
“When my grandfather, the Great Maggid, who was the holy Baal Shem’s disciple, wanted to work a like cure, he no longer knew the secret meaning of the words on which he had to concentrate. He did as his master had done and called on his name. And his efforts met with success. 
“When Rabbi Moshe Leib, the disciple of the disciple of the Great Maggid, wanted to work a cure of this kind, he said: ‘We have no longer the power even to do what was done. But I shall relate the story of how it was done, and God will help.’ And his efforts met with success.”

世代  
リジンのラビはこう語った: 「ある時、聖なるバール・シェム・トフがとても可愛がっていた病気の少年の命を救いたいと思った時、彼は純粋な蝋で作った蝋燭を注文し、それを森に運び、木に留めて火を灯した。そして長い祈りを捧げた。ろうそくは一晩中燃えた。朝が来ると、少年は元気になっていた。
「聖なるバール・セムの弟子であった私の祖父、偉大なマギッドも、同じような治療を行おうとしたとき、彼はもはや、集中しなければならない言葉の秘密の意味を知らなかった。彼は師匠がしたように、彼の名を呼んだ。そして彼の努力は成功した。
「偉大なマギドの弟子の弟子であるラビ・モシェ・レイブがこの種の治療を行おうとしたとき、彼は言った。しかし、私はそれがどのように行われたかの物語を語ろう。そして彼の努力は成功を収めた。」


フランス語圏にはショーレム(1950)経由で紹介されたらしい。
アケルマンもゴダールもこちらを読んだのだろう。
ショーレムはゴダールが奇妙な戦争で言及していた気がする。




  1. Gershom Scholem, Les grands courants de la mystique juive, Paris, Payot, 1950, p. 368-369. 

ゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義の大潮流』パリ、パヨット、1950年、133ページ。 368-369. ↩

Major Trends in Jewish Mysticism (English Edition) Kindle版 



メモ『ゴダールの決別』Hélas pour moi (1993)の冒頭 寺尾次郎氏の字幕

私の父の父が困難な務めを果たすとき
森の中のある場所に行って火を起こし
静かに祈りを一心にささげると
願いはかないました
後に私の父の父が同じ務めに直面したとき
彼は同じ場所でこう言った
"火はおこせませんが"

2025/02/08 11:07




"祈りは唱えられます"
すると願いはかないました
父も森へ入り言った
"火のおこし方も" "祈りの奥義も知りませんが" "願いのかなう この場所を知っています" "それで十分でしょう"
それで願いはかなった

2025/02/08 11:12



しかし同じ務めに直面した私は
家の中で考えた
"もう火もおこせないし"
"祈りも唱えられないうえ"
"森のその場所も知らない"
"だがまだ物語は語れる"

2025/02/08 11:13

Tales of the Hasidim

From Wikipedia, the free encyclopedia

Tales of the Hasidim is a book of collected tales by Martin Buber. It is based on stories—both written and spoken—based in the Hasidim.[1] Buber wrote these tales based on the lore of the Baal Shem Tov. Many of the stories are parables passed down via both the written and spoken word.[2]

History

Tales of the Hasidim was originally published in Hebrew by Schocken Press in Israel in 1946 under the title Or HaGanuz. It was translated into English by Olga Marx and published in 1947. 

Buber's collection includes a focus on the theme of non-judgment. Rebbesin the work often chastise followers for pious behavior and reward those who keep the spirit and tradition of Judaism alive. Some of the tales in the book (sometimes referred to as "The Early Masters") constitute mysticism.[3] Buber intended to show how important a sense of community was to the Hasidim rather than expound dogma,[4] although Chaim Potokremarked that Buber "romanticized" his subjects.[5]

See also

References

  1. Tales of the Hasidim: The Early Masters. M Buber - O. Marx, New York: Schocken Books, 1947
  2. Wrapped in a holy flame: teachings and tales of the Hasidic masters.Z Schachter-Shalomi… - 2003 - Jossey-Bass
  3. Sigmund Freud and the Jewish mystical tradition. D Bakan - 1969 - Schocken Books
  4. Martin Buber and the human sciences. MS Friedman - 1996 - books.google.com
  5. Martin Buber. M Buber - Information Theory, 1950 - books.google.com
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興味深い考察です。
この寓話はブーバーが紹介し英語圏で読まれるようになったもの(Tales of the Hasidim (English Edition) ‘Generation’)をエリ・ヴィーゼル(Gate of forest, Souls on Fire )が改変して世に広めたもののようです。ウィーゼルはそのパレスチナへの姿勢をチョムスキーに批判されています。

  The Classic Tales1989   Ellen Frankel ‘#270 Only the Story Remains’参照。
https://archive.org/details/classictales400000fran/page/628/mode/2up  https://archive.org/details/classictales400000fran/page/550/mode/2up


Gate of forest
Souls on Fire (English Edition) Kindle版 英語版 Elie Wiesel (著), Marion Wiesel (翻訳)

ーー

On the Way to DeathEssays Toward a Comic Vision

前表紙
A. Roy Eckardt
Routledge2018/04/17 - 360 ページ

On the Way to Death completes Eckardt's astonishing trilogy on the interrelationship of comedy, death, and God. It addresses itself to the question of death as the basic incongruity of life. Here is opened to human view the final divine comedy: a total reversal of the traditional roles assigned to God and humankind, a comical denouncement of the terror of death. On the Way to Death follows Sitting in the Earth and Laughing and How to Tell God From the Devil to complete Roy Eckardt's trilogy on comedy, the devil, and God.



This is the epigraph to Elie Wiesel, The Gates of the Forest, trans. Frances Frenaye (New York: Avon Books, 1967); on sources see Frankel, Classic Tales, 629. See also Wiesel, Souls on Fire: Portraits and Legends of Hasidic Masters (New York: Vintage Books, 1973); and Somewhere a Master: Further Hasidic Portraits and Legends, trans. Marion Wiesel (New York: Summit Books, 1982).
 これは、森の門であるエリー・ヴィーゼルへのエピグラフです。フランシス・フレネイ(ニューヨーク:エイボン・ブックス、1967);情報源については、Frankel、Classic Tales、629を参照してください。Wiesel、Soub on Fire:Portraits and Legends of Hasidic Masters(New York:Vintage Books、1973)も参照してください。そしてどこかでマスター:さらにハシドの肖像画と伝説、トランス。マリオンヴィーゼル(ニューヨーク:サミットブック、1982年)。


The Classic Tales: 4,000 Years of Jewish Lore (English Edition) Kindle版 1989










In the Beginning Were Stories, Not Texts
Story Theology
作成者: C S Song · 2012

https://www.google.co.jp/books/edition/In_the_Beginning_Were_Stories_Not_Texts/zYviDwAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&dq=I+am+unable+to+light+the+fire,+I+do+not+know+the+prayer,+and+I+cannot+even+find+the+place+in+the+forest.+All+I+can+do+is+to+tell+the+story.&pg=PA8&printsec=frontcover 
8 IN THE BEGINNING WERE STORIES, NOT TEXTS 

When the great Rabbi Israel Baal Shem-Tov saw misfortune threatening the Jews it was his custom to go into a certain part of the forest to meditate. There he would light a fire, say a special prayer, and the miracle would be accomplished and the misfor- tune averted. Later, when his disciple, the celebrated Magid of Mezritch, had occasion, for the same reason, to intercede with heaven, he would go to the same place in the forest and say: "Master of the Universe, listen! I do not know how to light the fire, but I am still able to say the prayer.” And again the miracle would be accomplished. Still later, Rabbi Moshe-Leib of Sassov, in order to save his people once more, would go into the forest and say: "I do not know how to light the fire, I do not know the prayer, but I know the place and this must be sufficient." It was sufficient and the miracle was accomplished. Then it fell to Rabbi Israel of Rizhyn to overcome misfortune. Sitting in his armchair, his head in his hands, he spoke to God: "I am unable to light the fire and I do not know the prayer; I cannot even find the place in the forest. All I can do is to tell the story, and this must be sufficient." And it was sufficient.³ 


This is a heartrending story, yet a marvelous story, a story just to the point of what we have been discussing. There will hardly be people, in- cluding you and me, who, although not Jewish, will not find this story resonating in their hearts and minds. They may grind their theological axes when they debate the concept of God, the doctrine of salvation, the meaning of the church, its sacraments, or speaking in tongues; they ought to be humbled when they are confronted by this God of stories. "All I can do is to tell the story," says Rabbi Israel of Rizhyn. There is a faint echo of apologetic tone here, but the good Rabbi does not have to be apologetic at all. Is there anything you can do except to tell stories in times of helplessness? When you are at a loss as what to do, does not telling stories enable you to regain your faith and hope? In times of crisis, whether personal or national, does not sharing stories help you turn crisis into opportunity? History in story shows us the way. Humor in story gives us courage. Hope in story empowers us for the future. In 


3. From Wiesel, Gates of the Forest.

8 初めに物語があったのであって、テキストではなかった 

偉大なラビ、イスラエル・バアル・シェム・トーブは、ユダヤ人に災難が迫っているのを見ると、森の特定の場所に行って瞑想するのが彼の習慣でした。そこで彼は火を灯し、特別な祈りを唱え、奇跡が起こり、災難は避けられました。後に、彼の弟子で有名なメズリッチのマギッドが、同じ理由で天にとりなしをする機会があったとき、彼は森の同じ場所に行き、「宇宙の主よ、聞いてください!私は火の灯し方は知りませんが、祈りを唱えることはできます」と言いました。そしてまた奇跡が起こりました。さらに後になって、サソフのラビ・モシェ・ライブは、もう一度人々を救うために森に入り、「火の起こし方は知らないし、祈り方も知らない。でも場所は知っている。これで十分だ」と言いました。それで十分で、奇跡は起こりました。それから、不幸を克服するのはリズィンのラビ・イスラエルにかかっていました。彼は肘掛け椅子に座り、両手で頭を抱えて神に語りかけました。「火を起こすこともできないし、祈り方も知らない。森の中で場所を見つけることすらできない。私にできるのは物語を語ることだけだ。これで十分だ」。そしてそれで十分でした。³ 


これは胸が張り裂けるような話ですが、素晴らしい話で、私たちがこれまで議論してきたこととまさに同じ話です。あなたや私を含め、ユダヤ人でなくても、この話が心と頭に響かない人はほとんどいないでしょう。神の概念、救済の教義、教会の意味、その秘跡、異言について議論するとき、彼らは神学的な考えに固執するかもしれませんが、この物語の神と対峙したとき、謙虚になるべきです。「私にできるのは、物語を語ることだけです」と、リズィンのラビ・イスラエルは言います。ここには弁解の口調がかすかに聞こえますが、良きラビは弁解する必要はまったくありません。無力なときに物語を語る以外にできることはあるでしょうか。何をしたらよいか途方に暮れているとき、物語を語ることで信仰と希望を取り戻すことはできないでしょうか。個人的または国家的な危機の際には、物語を共有することで危機をチャンスに変えることができるのではないでしょうか。物語の歴史は私たちに道を示してくれます。物語のユーモアは私たちに勇気を与えてくれます。物語の希望は未来への力を与えてくれます。 


3. ヴィーゼル『森の門』より





  
Ryo Chiura
⁦‪@r_chiura‬⁩


メモ『ゴダールの決別』Hélas pour moi (1993)の冒頭のやつ 寺尾次郎氏の字幕

私の父の父が困難な務めを果たすとき
森の中のある場所に行って火を起こし
静かに祈りを一心にささげると
願いはかないました
後に私の父の父が同じ務めに直面したとき
彼は同じ場所でこう言った
"火はおこせませんが"

2025/02/08 11:07




"祈りは唱えられます"
すると願いはかないました
父も森へ入り言った
"火のおこし方も" "祈りの奥義も知りませんが" "願いのかなう この場所を知っています" "それで十分でしょう"
それで願いはかなった

2025/02/08 11:12



しかし同じ務めに直面した私は
家の中で考えた
"もう火もおこせないし"
"祈りも唱えられないうえ"
"森のその場所も知らない"
"だがまだ物語は語れる"

2025/02/08 11:13





シャンタル・アケルマン『アメリカン・ストーリーズ 食事・家族・哲学』Histoires d'Amérique: Food, Family and Philosophy 1989
冒頭 opening

m.youtube.com/watch?v=BYHpM-…

2025/02/08 11:22





このエピソードは何だろうと思っていたが、アルノー・デプレシャンのエッセイ的映画『映画を愛する君へ』(2024)のなかの、ケント・ジョーンズ(映画史家)とデプレシャンの会話で
宗教家バアル・シェム・トーブ(イスラエル・ベン・エリエゼル)の逸話だと語られていた。

ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4…

2025/02/08 14:52




(ゴダールのアケルマンからの"剽窃"?は祈る主体がラビであることを除いている。アケルマン『アメリカン・ストーリーズ』はユダヤ人のアイデンティティを主題としていてあのナレーションは自然、必然。デプレシャン、ジョーンズの会話はアケルマンに言及しないのにゴダールの脱色を無化している?)

2025/02/08 19:37


https://x.com/r_chiura/status/1888175310572789965?s=61

 

The Gates of the Forest: A Novel ペーパーバック – 1995/5/16 

1982
英語版 Elie Wiesel (著)
4.6 5つ星のうち4.6 21個の評価


Gregor—a teenaged boy, the lone survivor of his family—is hiding from the Germans in the forest. He hides in a cave, where he meets a mysterious stranger who saves his life. He hides in the village, posing as a deaf-mute peasant boy. He hides among the partisans of the Jewish resistance. But where, he asks, is God hiding? And where can one find redemption in a world that God has abandoned? In a story punctuated by friendship and fear, sacrifice and betrayal, Gregor's wartime wanderings take us deep into the ghost-filled inner world of the survivor.

イスラエル・ベン・エリエゼル

ラビ(レベ)・イスラエル・ベン・エリエゼルRebbe(rabbi) Yisroel ben Eliezerישראל בן אליעזר、(Yiśrā'ēl bēn 'El'āzâr)1698年ガリチア東端(現ウクライナテルノピリ州廃墟)・ホティン近郊聖三位一体砦 Okopy Świętej Trójcy - 1760年5月22日 ガリチア・ミェンヅィブシュ Międzyborz)はハシディズムの創始者とされる、汎神論的な立場を取ったユダヤ教思想家。バアル・シェム・トーブ(הבעל שם טובBa'al Šem T'ōbh)の名で活躍し、略称はהבעש"טベシュトBEŠT)。 

ベシュトの生涯は彼の弟子ポロンのヤコブ・ジョゼフ(Jacob Joseph of Polonne)や彼の伝説が書かれたShivḥei ha-Beshtに纏められている。 

彼の信条の中心はデベクートによる神との直接の接触である。デベクートによる神聖の獲得は、人間のすべての行動や起床している全ての時間に注入される。ヘブライ文字と言葉により行われる祈りもとても大事とされる。彼の教義を信じる人は、彼をダビデ王朝の系統の人間だと考えている。 

生い立ち

イスラエルはウクライナ東部のオコピー(Okopy)で生まれた。父はエリゼル、母はサラで貧しい一家だった。 

1703年、イスラエルは5歳の時に孤児になり、ユダヤ人のコミュニティで育てられた。彼はヘデル(ユダヤ人の小学校)の授業が終わると、よく村の回りの野原や森を歩いた。1710年、彼はヘデルを卒業すると、ヘデルで教師の手伝いを始めた。1712年頃から、地元のシナゴーグの管理人をすることになった。 

18歳頃から彼は貧しいユダヤ人の子供を教育する運動のリーダーをするようになった。 

彼はサラと結婚したが、収入は粘土や石灰を周囲の村に届ける仕事で貧しかった。 

参考資料

  • The chief source for Besht's biography is Baer (Dob) b. Samuel's Shibchei ha-Besht, Kopys, 1814, and frequently republished.
  • For Besht's methods of teaching, the following works are especially valuable: Jacob Joseph ha-Kohen, Toledot Ya'akob Yosef;
  • Likutim (Likut)... a collection of Hasidic doctrines; the works of Baer of Meseritz.
  • Critical works on the subject are: Dubnow, Yevreiskaya Istoria, ii. 426-431;
  • idem, in Voskhod, viii. Nos. 5-10;
  • ハインリヒ・グレーツ Grätz, Gesch. der Juden, 2d ed., xi. 94-98, 546-554;
  • イザーク・ヨースト Jost, Gesch. des Judenthums und Seiner Sekten, iii. 185 et seq.;
  • A. Kahana, Rabbi Yisrael Ba'al Shem, Jitomir, 1900;
  • D. Kohan, in Ha-Sh. ;ar, v. 500-504, 553-554;
  • Rodkinson, Toledot Ba'ale Shem-Tov;ob, Königsberg, 1876;
  • ソロモン・シェヒター Schechter, Studies in Judaism, 1896, pp. 1-45;
  • Zweifel, Shalom 'al-Yisrael, i.-iii.;
  • Zederbaum, Keter Kehunah, pp. 80-103;
  • Frumkin, 'Adat ...;..hasidim, Lemberg, 1860, 1865 (?);
  • イズレイル・ザングウィル Zangwill, Dreamers of the Ghetto, pp. 221-288 (fiction).K. L. G.

日本語で読める参考資料

外部リンク

関連項目


 この記事にはパブリックドメインである次の文書本文が含まれる: Singer, Isidore [in 英語]; et al., eds. (1901–1906). The Jewish Encyclopedia. New York: Funk & Wagnalls.normal {{cite encyclopedia}}|title=は必須です。 (説明)


https://kotobank.jp/word/%E3%81%84%E3%81%99%E3%82%89%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%B9%E3%82%93%E3%81%88%E3%82%8A%E3%81%88%E3%81%9C%E3%82%8B-1268704#goog_rewarded


イスラエル・ベン・エリエゼル(読み)いすらえるべんえりえぜる

世界大百科事典(旧版)内のイスラエル・ベン・エリエゼルの言及

【ハシディズム】より

…この語はヘブライ語のhasid(敬虔なるもの)に由来し,広くユダヤ宗教史上に現れた〈律法〉の内面性を尊重する敬虔主義の運動を指しているが,とくに狭義には18世紀の初頭ポーランドやウクライナのユダヤ人大衆の間に広まった聖・俗一如の信仰を主張する宗教的革新運動をいう。その創始者は〈よき名の主Baal Shem Tov〉と呼ばれるイスラエル・ベン・エリエゼルIsrael ben Eliezer(1698‐1760)である。この運動は正統派からは異端視され,また知識階級からは迷信的なものとして軽視されてきたが,ブーバーによって再びその深い宗教的意味が見いだされ再評価されている(もっとも彼のハシディズム理解はあまりにも主観的にすぎるとして批判される面もある)。…

※「イスラエル・ベン・エリエゼル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」



小野文生

名ラビ ・ イスラエル ・ ベン ・ エリエゼル 1700?-1760)を創始者とし、18 世. 紀中葉の東欧で勃興した神秘主義的傾向をもつユダヤ教刷新運動。ツァディ. ク(義人)と ..


Martin  Buber  1878-1965


6 ハスィディズム(Chassidismus; Hasidism)は、バアル・シェム・トヴ(本名ラビ・イスラエル・ベン・エリエゼル1700?-1760)を創始者とし、18世紀中葉の東欧で勃興した神秘主義的傾向をもつユダヤ教刷新運動。ツァディク(義人)と呼ばれるリーダーに導かれる会衆共同体の祈りが特徴的で、因習化した正統派のラビニズムへの批判が含まれている。ブーバーは、『スィプレイ・マアスィヨット』の翻訳『ラビ・ナハマンの物語』(1906年)と『ツァヴァアット・ハリヴァッシュ』の翻訳『バアル・シェムの伝説』(1908年)を嚆矢として晩年にいたるまで多くのハスィディズム関連著作を発表し、東欧ユダヤの大衆に浸透していた(しかし「無視」され続けてきた)ハスィディズムの独自な「価値」を西欧世界に知らしめ、ユダヤ・ルネッサンスの重要な一翼を担った。


拓殖欣也

・(1967)上野武「ブーバーの人間観と教育思想―教育学に対するマルティン・ブーバ ... エリエゼルによって始められたユ. ダヤ教内部の革新的な神秘主義的宗教運動)とも ...


註   1)ブーバーは、神を「永遠の汝」と呼んでいるが、「実際、神を探し求めるなどということはあり得ない。なぜならば、この世のすべては、すでに神を宿している」(マルティン・ブーバー著、植田重雄訳『我と汝・対話』岩波文庫、2004年、100頁)との仏教的な思想を表明したかと思えば、「わたしと同じように神を原理やイデアとは考えない人々ならば、神の特質を人格的に言い表わすことは避けがたい」(同、165頁)。しかしながら、「神と人


間の間の相互性は、神の存在証明ができないのと同じように、証明できない」(同、167頁)とあたかも迷走しているかのようである。これは、彼の「思想の源泉」でもある「ハシディズム運動」(18世紀の初頭、イスラエル・ベン・エリエゼルによって始められたユダヤ教内部の革新的な神秘主義的宗教運動)とも大いに関連があり、彼は、ハシディズムの精神をもって、ルネッサンスに始まる“アトム化”された西欧の自我哲学が人間相互の連帯性の喪失という近代文化の危機の根源的病根となってしまっていると見抜き、それと対決すべく、独自の解釈を取ろうとしたのである。(Buber.M., Die chassidishe Botschaft, in  1963=平石善司訳「訳者あとがき」『ブーバー著作集3  ハシディズム』みすず書房、1969年、254~258頁)ちなみに、池田は、前世紀最大の歴史家と称されるA.J.トインビーとの対談の中で、「“究極の実在”を、ユダヤ系の(諸)宗教では“神”、すなわち人間的存在としてとらえたのに対し、大乗仏教では、それを“宇宙的生命”、そしてその底流に働いている“法”としてとらえている」と、神に対して人格的な捉え方をせざるをえないとするブーバーの葛藤に対して、ある一定の解答を示している。(A.Jトインビー・池田大作『二十一世紀への対話(四)』聖教文庫、1982年、179頁) 


マルティン・ブーバー

マルティン・ブーバーヘブライ語מרטין בובר, ラテン文字転写;Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)は、オーストリア出身のユダヤ宗教哲学者社会学者

経歴

1878年、ウィーン正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれる。イディッシュ語ドイツ語が交わされる中で生活しながら、1892年に父方の実家があるレンベルク(当時オーストリア領、現ウクライナリヴィウ)に転居。イマニュエル・カントセーレン・キェルケゴールフリードリヒ・ニーチェなどに親しむうち哲学に興味を示し、1896年に再度ウィーンへ戻って哲学、美術史、歴史などの勉強に勤しんだ。

その後、当時盛んになったシオニズム運動に加わり、機関紙の編集者にもなるものの、ハシディズムに関心を持ったことを契機に、政治的に特化されたシオニズムに疑問を持って離脱。再び学究と著述に専念し、1923年に主著となる『我と汝』を上梓した。翌1924年にはフランクフルト大学教授となり、聖書ヘブライ語からのドイツ語訳に携わった。

1930年にはフランクフルト大学名誉教授となるも、ナチスが政権を獲得すると一切の講義を禁止され1935年に追放処分を受ける。このためドイツを出国したブーバーは、1938年エルサレムに移住しヘブライ大学人類学社会学を講じた。1965年にエルサレムで没した。

受賞・栄典

思想

ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという、端的に言えばユダヤ教教義を哲学的に洗練したものとされる。

ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「我」はいくら「それ」に関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「我-それ」関係に代わって真に大切なのは「我-汝」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして、精神的存在と交わるためには相手を対象として一方的に捉えるのではなく、相手と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。

この思想はユダヤ神秘主義ドイツ神秘主義と似通っており、双方の伝統を受け継ぐブーバーはこれらから独自の思想を発展させたと考えられる[要出典]。もっとも、ブーバーは人間は現世に生活する存在である以上、神秘主義の説く「神人合一」を絶対的境地とは認めなかった。なぜなら、そのような境地を絶対とするならば、恍惚境から離れた日常ではいかなる悪を犯しても構わなくなるからである。むしろ、通常の人間には日常生活の方が大事であり、そこにおいて絶対的存在との繋がりを保つ手法の考察が、「対話」に発展していったと考えられる。

家族・親族

参考文献

  • 『マルティン・ブーバー聖書著作集 第2巻 神の王国』(原書名 Königtum Gottes, 原著第3版の翻訳)(マルティン・ブーバー、木田献一北博訳、日本キリスト教団出版局、ISBN 4-8184-0455-1
    • 他は『聖書著作集 第1巻 モーゼ』、『聖書著作集 第3巻 油注がれた者』、2002年~2010年刊。
  • 『時間と対話的原理 波多野精一とマルチン・ブーバー』(側瀬登著、晃洋書房ISBN 4-7710-1201-6, 2000年11月)

主な訳書

元版は『ブーバー著作集』全10巻。約半世紀前に出版

関連書籍

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、マルティン・ブーバーに関連するカテゴリがあります。
ウィキクォートマルティン・ブーバーに関する引用句集があります。

脚注

  1. 訳書に『カフカの恋人 ミレナ』(田中昌子訳、平凡社、のち平凡社ライブラリー)、回想『スターリンとヒットラーの軛のもとで 二つの全体主義』(林晶訳、ミネルヴァ書房)
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ゲルショム・ショーレム

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  (2024年5月)

ゲルショム・ゲルハルト・ショーレムヘブライ語גרשם גרהרד שלוםラテン文字転写Gershom Gerhard Scholem1897年12月5日 - 1982年2月21日)は、ドイツ生まれのイスラエル思想家。ユダヤ神秘主義(カバラ)の世界的権威で、ヘブライ大学教授を務めた。1968年にはイスラエル文理学士院の院長に選ばれた。

経歴

1897年、ドイツベルリンでユダヤ人の家庭に生まれ育った。父はアルトゥール・ショーレム、母はベティ・ヒルシュ・ショーレム。画家であった父は同化主義者で、息子がユダヤ教に興味を持つのを喜ばなかったが、ショーレムは母のとりなしにより正統派のラビのもとでヘブライ語タルムードを学ぶことを許された。

ベルリン大学に入学し、数学哲学ヘブライ語を専攻。大学では、マルティーン・ブーバーヴァルター・ベンヤミンシュムエル・アグノンハイム・ナフマン・ビアーリクアハッド・ハーアムザルマン・シャザールといった面々と知り合った。1918年にはベンヤミンと共にスイスベルンにいたが、ここで最初の妻エルザ・ブルクハルトと出会った。1919年にドイツへ戻り、ミュンヘン大学セム語研究で学位を取得。博士論文のテーマは、最古のカバラ文献סֵפֶר הַבָּהִיר(セフェル・ハ=バヒール: "光輝の書")であった。シオニズムに傾倒し、友人ブーバーの影響もあって、1923年に英領パレスチナへ移住。

パレスチナに移住後、彼はユダヤ神秘主義の研究に没頭する。同地で司書の職を得て、最終的にはイスラエル国会図書館のヘブライ・ユダヤ文献部門の責任者となった。一方で、エルサレムヘブライ大学で講師の職に就いた。1933年にはヘブライ大学のユダヤ神秘主義講座の初代教授に就任、1965年名誉教授となるまでこの地位にあった。カール・グスタフ・ユングらが関わった「エラノス会議」にも参加。

研究内容・業績

彼の特色は、自然科学の素養を活かして、カバラを科学的に教えた点にある。

受賞・栄典

家族・親族

著書(訳書)

  • 『ユダヤ主義の本質』 河出書房新社, 1972年
  • 『ユダヤ主義と西欧』 河出書房新社, 1973年
  • 『ユダヤ教神秘主義』 河出書房新社, 1975年
  • 『わが友ベンヤミン』 晶文社, 1978年
  • 『ユダヤ神秘主義』 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 1985年、のち新装版。別訳版
  • 『カバラとその象徴的表現』 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 1985年、のち新装版
  • 『ベルリンからエルサレムへ 青春の思い出』 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 1991年
  • 『錬金術とカバラ』 作品社, 2001年
  • サバタイ・ツヴィ伝 神秘のメシア』叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 2009年。2冊組
共著ほか

評伝

合田正人訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 2003年
  • スーザン・A・ハンデルマン「ゲルショム・ショーレムとヴァルター・ベンヤミン」-『救済の解釈学 ベンヤミン、ショーレム、レヴィナス』
合田正人・田中亜美訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 2005年

脚注

外部リンク

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1 件のコメント:

  1. ゴダールはアッケルマン、ショーレム経由で引用

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