参考:
トーラーの名において
https://rekishi-love-history.blogspot.com/2025/02/1970-abraham-serfaty-emmanuel-levyne.html
ユダヤ教徒の反戦運動
https://x.com/yojisekimoto/status/1908338031599509995?s=61
https://freeassociations2020.blogspot.com/2025/04/tobimono2x.html
https://youtube.com/shorts/HTfCiQms1C0?si=759cUhH99E1S3I48
https://x.com/slow_luminous/status/1908316617362309371?s=61
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https://x.com/tobimono2/status/1886599664037949814?s=61
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https://x.com/parstodayj/status/1743865797213307047?s=61
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https://x.com/kindness_world_/status/1748068613519544383?s=61
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https://x.com/8zal/status/1852470559998693743?s=61
#BREAKING
「 #Newニューヨークから#Jerusalemまで、我々はガザで起こっていることに反対する」と、ユダヤ教のラビがニューヨーク中心部でイスラエルの野蛮な戦争を非難する演説を行ったが、パレスチナ支持者たちがラビを守ろうとする中、シオニストらの攻撃を受けた。
ゴダールは決別でアケルマン経由で以下ショーレム本を改変引用
ショーレムに関しては奇妙な戦争のラストに名前が出る
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ヨーンゾン
https://dylan2023bible.blogspot.com/2024/12/wikipedia_10.html
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ユダヤ神秘主義
1985年
ゲルショム・ショーレム
山下 肇/石丸昭二訳
法政大学出版
#9
464〜5
…もはや理論の何ものも残ってはいない。すべては物語のなかに入ってしまった。したがって、私の所見が、ハシディズムそのものの発展段階についてハッシーディームによって語られるこうした物語でもって結ばれるとしても、あながちダメをおされることもあるまい。ここに掲げる物語は、偉大なヘブライ語作家S・J・アグノン*の口から私が聞いた話である。
バアル=シェームは、何か困難な、人のためにするある種の秘教的な仕事を片づけねばならぬことがあると、いつも森のなかの一定の場所に行って、火をともし、神秘的な瞑想にひたりながら、祈禱を口ずさんだ――すると、すべては彼がもくろんでいた通りのことになった。一世代後のメセリッツのマッギードが同じことをするときにも、森のなかのあの場所に行って、こう言った、「われわれはもう火をともすことはできないが、祈禱をとなえることはできる」すると、すべてが彼の意志の通りになった。さらに一世代後のサッソフのラビ・モーシェ・レイーブも同じことを実行せねばならぬことになった。彼も森のなかに行って、こう言った、「われわれはもう火をともすことはできない。それに祈禱に生命をあたえる秘的な瞑想のことも知らない。しかし、それらすべての属する森のなかの場所をわれわれは知っている。それで十分にちがいない」その通り十分だった。ところで、さらにまた一世代後のリシーンのラビ・イスラエルがあの行為を果たさねばならぬことになったとき、彼は城中の黄金の椅子に坐したままこう言った、「われわれは火をともすことはできぬ。祈禱をとなえることもできぬ。もはやあの場所も知らぬ。しかし、それらについて話をしてきかせることはできる」と。そしてその語り手はつけ加える彼の物語だけは、それ以前の三人の行為と同じ効力をもったのだ、と。
*35.S.J. アグノン Samuel Josef Agnon (1888-1970) ヘブライ語の小説家.ガリチアのプチャッチ生れ、 意識的に古風な文体で東欧ユダヤ人のハシディズムの世界の小さな町々やイスラエルの風土の新旧の生活を描く現代作家で,エルサレムに住み、1966年, ユダヤ系のドイツ・スウェーデン作家ネリー・ザックス女史と共に, ヘブライ語詩人イスラエル国民として初めて、ノーベル文学賞を受けた. 長短篇を含むその全集は12巻, 16ヵ国語に翻訳されている.
37. この逸話の核心は,事実, ラビ Israel von Rischin に関する物語を集めたあるハシディズムの集成 Kenesseth Jisrael [イスラエル共同体] (Warschau 1906, p. 23に見出される.
36. すでに Schibche ha-Bescht (1815), B1.28aのなかでラディカルな表現が書きた
てられている. 「ツァッディーキームの栄光のための物語を語るものは、まるでメルカ
レーバーを相手にする人のようである.」 ブラッラフのナハマンは,ツァッディーキーム
の物語を通して 「救世主の光を世にもたらす」 のだと断言してはばからないほどだった。
彼の Sefer ha-middoth s. v. Zaddik を参照されたい.
(108)
《叢書・ウニベルシタス》
ユダヤ神秘主義
1985年3月30日 初版第1刷発行
ゲルショム・ショーレム
山下 肇/石丸昭二訳
#9
464〜5頁
ンディズム,ユダヤ神秘主義の終局
偉大なツッディーキーム、とりわけ東ガリチアのハシディズム統治者たちの祖リシーンのイスラエルの ような人びとは彼らの生産的な力をこうした物語に傾注した。彼らのトーラーはここではまったく無限に 豊かな語り物のかたちをとった。
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アケルマン(1988)及びゴダール決別(1993)で引用されたバージョンはブーバー(1946,1947)によるGenerationという章題が持っていた世代という概念を再生している。
- Gershom Scholem, Les grands courants de la mystique juive, Paris, Payot, 1950, p. 368-369. ↩

メモ『ゴダールの決別』Hélas pour moi (1993)の冒頭 寺尾次郎氏の字幕
私の父の父が困難な務めを果たすとき
森の中のある場所に行って火を起こし
静かに祈りを一心にささげると
願いはかないました
後に私の父の父が同じ務めに直面したとき
彼は同じ場所でこう言った
"火はおこせませんが"
2025/02/08 11:07

"祈りは唱えられます"
すると願いはかないました
父も森へ入り言った
"火のおこし方も" "祈りの奥義も知りませんが" "願いのかなう この場所を知っています" "それで十分でしょう"
それで願いはかなった
2025/02/08 11:12

しかし同じ務めに直面した私は
家の中で考えた
"もう火もおこせないし"
"祈りも唱えられないうえ"
"森のその場所も知らない"
"だがまだ物語は語れる"
2025/02/08 11:13
Tales of the Hasidim
Tales of the Hasidim is a book of collected tales by Martin Buber. It is based on stories—both written and spoken—based in the Hasidim.[1] Buber wrote these tales based on the lore of the Baal Shem Tov. Many of the stories are parables passed down via both the written and spoken word.[2]
History
Tales of the Hasidim was originally published in Hebrew by Schocken Press in Israel in 1946 under the title Or HaGanuz. It was translated into English by Olga Marx and published in 1947.
Buber's collection includes a focus on the theme of non-judgment. Rebbesin the work often chastise followers for pious behavior and reward those who keep the spirit and tradition of Judaism alive. Some of the tales in the book (sometimes referred to as "The Early Masters") constitute mysticism.[3] Buber intended to show how important a sense of community was to the Hasidim rather than expound dogma,[4] although Chaim Potokremarked that Buber "romanticized" his subjects.[5]
See also
References
- Tales of the Hasidim: The Early Masters. M Buber - O. Marx, New York: Schocken Books, 1947
- Wrapped in a holy flame: teachings and tales of the Hasidic masters.Z Schachter-Shalomi… - 2003 - Jossey-Bass
- Sigmund Freud and the Jewish mystical tradition. D Bakan - 1969 - Schocken Books
- Martin Buber and the human sciences. MS Friedman - 1996 - books.google.com
- Martin Buber. M Buber - Information Theory, 1950 - books.google.com
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On the Way to Death: Essays Toward a Comic Vision
On the Way to Death completes Eckardt's astonishing trilogy on the interrelationship of comedy, death, and God. It addresses itself to the question of death as the basic incongruity of life. Here is opened to human view the final divine comedy: a total reversal of the traditional roles assigned to God and humankind, a comical denouncement of the terror of death. On the Way to Death follows Sitting in the Earth and Laughing and How to Tell God From the Devil to complete Roy Eckardt's trilogy on comedy, the devil, and God.
This is the epigraph to Elie Wiesel, The Gates of the Forest, trans. Frances Frenaye (New York: Avon Books, 1967); on sources see Frankel, Classic Tales, 629. See also Wiesel, Souls on Fire: Portraits and Legends of Hasidic Masters (New York: Vintage Books, 1973); and Somewhere a Master: Further Hasidic Portraits and Legends, trans. Marion Wiesel (New York: Summit Books, 1982).
これは、森の門であるエリー・ヴィーゼルへのエピグラフです。フランシス・フレネイ(ニューヨーク:エイボン・ブックス、1967);情報源については、Frankel、Classic Tales、629を参照してください。Wiesel、Soub on Fire:Portraits and Legends of Hasidic Masters(New York:Vintage Books、1973)も参照してください。そしてどこかでマスター:さらにハシドの肖像画と伝説、トランス。マリオンヴィーゼル(ニューヨーク:サミットブック、1982年)。


Ryo Chiura
@r_chiura

メモ『ゴダールの決別』Hélas pour moi (1993)の冒頭のやつ 寺尾次郎氏の字幕
私の父の父が困難な務めを果たすとき
森の中のある場所に行って火を起こし
静かに祈りを一心にささげると
願いはかないました
後に私の父の父が同じ務めに直面したとき
彼は同じ場所でこう言った
"火はおこせませんが"
2025/02/08 11:07

"祈りは唱えられます"
すると願いはかないました
父も森へ入り言った
"火のおこし方も" "祈りの奥義も知りませんが" "願いのかなう この場所を知っています" "それで十分でしょう"
それで願いはかなった
2025/02/08 11:12

しかし同じ務めに直面した私は
家の中で考えた
"もう火もおこせないし"
"祈りも唱えられないうえ"
"森のその場所も知らない"
"だがまだ物語は語れる"
2025/02/08 11:13

シャンタル・アケルマン『アメリカン・ストーリーズ 食事・家族・哲学』Histoires d'Amérique: Food, Family and Philosophy 1989
冒頭 opening
m.youtube.com/watch?v=BYHpM-…
2025/02/08 11:22

このエピソードは何だろうと思っていたが、アルノー・デプレシャンのエッセイ的映画『映画を愛する君へ』(2024)のなかの、ケント・ジョーンズ(映画史家)とデプレシャンの会話で
宗教家バアル・シェム・トーブ(イスラエル・ベン・エリエゼル)の逸話だと語られていた。
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4…
2025/02/08 14:52

(ゴダールのアケルマンからの"剽窃"?は祈る主体がラビであることを除いている。アケルマン『アメリカン・ストーリーズ』はユダヤ人のアイデンティティを主題としていてあのナレーションは自然、必然。デプレシャン、ジョーンズの会話はアケルマンに言及しないのにゴダールの脱色を無化している?)
2025/02/08 19:37
https://x.com/r_chiura/status/1888175310572789965?s=61
ゴダールはアッケルマン、ショーレム経由で引用
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